活動

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特定分野における未訳の良書を邦訳する会にお誘いいただきました。

10年以上続いている会らしいですが、主に高齢化によって活動を縮小せざるを得なくなっているとのこと。

お誘いいただいた理由は、それだけではないようですが。

まずは初参加が楽しみです。

最近Quoraで「50年以上プレイしてきましたが、このゲームはクソゲーですよね?運営は何してんですか?」なんて質問を頂きました。まず最初のセンテンスから同意できないのです。このゲームは文字通り神ゲーだと思ってるから!

選択次第でどうにでもなるし、ルール(自然摂理)が突然変更になることもありません。

しかもクソゲーかどうか評価するのは、ゲームオーバーになった後にすべきかなって思うんです。

回答はまだしていません。

これから書くことは、身の回りにそういう活動してる人がたくさんいるからこんなこと書くのは勇気が要るんだけど、書くことにします。

日本の各地で、地域に密着した活動をしている人と繋がる機会がとくに最近増えてきています。それは僕がTSL、info.caffe、qube cafe、その他で長年活動してきた実りだと思ってます。

中には、抜群のイマジネーションと行動力で今まで誰もやったことのない活動に切り込んで、成果を出している方々もいらっしゃいます。まさに全力投球。

でもね、特定の条件で人間を一括りにして勝手な押し付けみたいなことをする活動には正直なところ全く賛同できません。

たとえば高齢者。高齢者の方の活動をナメてんのか? と思わざるを得ないような「地域活動」と称した活動が多すぎません?

キューブカフェには70代以上の方々がたくさんいらっしゃいます。

皆さんね、若輩者の我々には到底真似ができないような独自の世界を持っているんですよ。

冒頭に書いた翻訳会もそうです。

この翻訳会は現在、1922年にMary Ellen Richmondによって出版された「What is social case work?An introduction description」の邦訳を進めています。

Mary Ellen RichmondさんはWikipediaにも載ってますが、アメリカのソーシャルワーカーの先駆となり、のちに「ケースワークの母」と呼ばれるようになった人です。

社会福祉士、精神保健福祉士など、福祉に関わるプロたちがこの本に着目して、その訳を出版したいという願いをもった活動にお誘いいただいたのです。

この方々が特別かって? いやいや、そんなことない。

キューブカフェにいらっしゃる年上の方々は、独自のワールドを持ってますよ。

跡部さんの援農にかける思いの深さと長年の地道な活動は、10年20年で追いつけるようなものじゃない。

宮田さんのテンカラ釣りの知識と経験の豊富さには舌を巻きます。そしてパソコンだってどうにかして自分で直しちゃうんだから。

石井さんは現代風に言えばマルチアントレプレナー(連続起業家)。このたび77歳にしてコロバンズで念願の特許取得に成功して、これから新しい会社を作ろうとしています。

そんな感じで、例をあげたらキリがないんです。

そんな彼らからのメッセージ。

「年寄りをどうにかしてあげようなんて活動、わたしは興味がない」

「高齢者の我々が赤ん坊みたいに扱われるのは正直我慢ならない。若い人たち頑張っちゃってるから、そんなことは絶対に言わないけどね」

「どんな時代だって、年齢に関係なく自分のとってきた行動の責任を自分でとらない人はいるのよ。高齢者だからって関係ないわ」

「自分の代わりに他人に何かしてもらおうって考え方はない」

「余計なお世話。間に合ってます」

いいですか、キューブカフェには荒川区在住の、数十人の後期高齢者が遊びに来ます。

そのうち誰一人としてですよ、いまの荒川区・東京都・日本国の提供している福祉サービスが足りないなんて言う人はいません。

どっか他のところに行けばそういうこと言う人いるんですか?

福祉サービスが足りないと声を大にしてるのは、決まって高齢者じゃないんですよ。

年齢に関係なく、人生の困難を行政や福利厚生のせいにしたり、会社のせいにしたり、親兄弟のせいにしたりしようとする人はいます。でも多くの真っ当な生き方してる人たちは、これもまた年齢に関係なく、求められたときにそこにあるパッシブな福祉から、余計なお世話や過度な自由侵害とも思えるような活動を苦々しく見守っています。

これ間違ってます? 間違ってたら教えてください。

老人ナメるのもいい加減にせいよ、って思います。

彼らは人生達観してるから、過度な主張は絶対にしません。

だからこそ、彼らの本音を聞くために必要なことは、ただひとつ。

「対等に向き合う」

対等に向き合えてます? 年寄りを年寄り扱いしてません?

年齢関係ないですよ。

サービスの受益者として彼らを見てません?

自分自身の「ともだち」として見てます?

ひとりひとりに対して。

長く生きてきた高齢者の方々は、この世界をより深く、より広く見て、生き抜いてきた先駆者たちです。

普段は語らない、想像を絶するような経験を積み重ねてきた方々です。

それが見えないのだとしたら、それは、相手に心を開いてもらってないのではないでしょうか?

「若い人たちは元気だねえ」

これ、素直に褒め言葉だと思っちゃていませんかね。

「若い人」って言われちゃってる時点でもう、壁ですよ。

わたしたちの日本はいま、年代に関係なく協力して生きていくつながりを必要としていると僕は思っています。

でもね、キューブカフェでいろいろ語り合うことはあれど、個々の繋がりにおいては、僕はそんなこと一切関係ないと思ってる。

年齢・性別・国籍・障害の有無などに関係なく、出会う人ひとりひとりとの一期一会だと思ってます。

僕個人が、個人的な友達をつくることができる場所。

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