和多志の精霊は告げる。
虹の子はひとりではないと。
精霊は続ける。
虹の戦士はすべてのリーダーであり、
時が満ちれば現れる存在であり、
それはひとりであると。
精霊は星々の智慧や知識を教えてくれる。
精霊のお告げが { 聴こえない | 観えない | 感じられない } 者は、確かにいるが、
誰もがそれを { 聴く | 観る | 感じる } ことができる。
なぜ { } で括って書いたのかというと、適切な単語が思いつかないからだ。
以前とある交流サイトで、匿名で打ち明けたことがある。
自分は { 聴く | 観る | 感じる } ことがあると。
そこにいたひとりの眼科医の言葉にわたしは傷つけられた。
「医学的にも科学的にもそんなものが『見える』はずがない。よってこの人は嘘をついている」
と。
かくしてわたしは、「観える」とか「聴こえる」という表現をやめた。
それからあらゆる、曖昧な単語を避けるようになった。
そうしたら、出せる言葉が少なくなっていった。
そしてそれが、最善であるということに思い至った。
しかし精霊は告げる。
伝えることを諦めることに、善も悪もない。ただ、後悔のないように選択する自由があると。
わたしは現実世界において、おしゃべりなほうだと思う。
しかし、本当に語りたいことのごく一部しか話すことができていない。
話すことへの恐怖とは、己が他人に否定されることへの恐怖と同じだということを理解してからは、恐怖はなくなった。
けれども、伝えようにも伝わらないことを中途半端に伝えようとすると、相手に誤解や混乱を招いてしまうことも知っているため、話す機会はごく限られている。
書籍のほか、YouTubeなど様々なメディアで、いろんなことを語っている人たちがいる。
知らないことは知らないから、人の言葉に意味はない。
そして知っていることについて反することを語っている人は、嘘をついているということがわかる。
身近に、そうした嘘を信じてしまっている人がたくさんいる。
これを訂正するのは、一体本人のためになることなのだろうかと常に葛藤する。
みな、不完全な証拠や語る者の権威といった、よくわからないものにを根拠に信じようとする。
信じたいという心持ちは理解できるが、それでは惑わされっぱなしになってしまう。
今日はここまで。
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