他人から学ぶこと。自分から学ぶこと。関係性から学ぶこと。驚異に満ちた世の中の摂理の学びには、飽くなき好奇心を満たしてなお余りある広大な未知の領域が広がっています。それはまさに、無限の宇宙の広がりに対して持つ感情と同じ。Outer SpaceとInner Spaceです。
「苦しみ」について少し書いてみましょう。
人は多くのことで苦しみます。
まず、痛みと苦しみは別のものです。痛みは痛覚神経から受け取る信号を、脊髄反射とは別に脳が処理して、形而下に顕在化された単純感覚です。対して苦しみとは、感覚に対して持つイメージとの重ね合わせです。
ヨガの世界では筋肉が張り詰めているときに感じる痛みのことを Sweet Painと呼ぶそうです。甘い痛み。
苦しみは、自我の解放への葛藤。成長の前段階。
苦しんでいた頃の自分すら愛しているからこそ、苦しみから脱することには困難が伴います。苦しみの果てに得るものがあるからですね。
苦しんだ自分を肯定したくなる。
すると必然的に、苦しみの過程にあった自己イメージが肯定へと導かれます。さまざまな避けられない状況、それは偶然の積み重ねであり、そのときのあなたの為だけにお膳立てされた世界で唯一のストーリーなのですが、それを基軸に物事の評価をしてしまうことによって、より幸せな体験を阻害してしまう側面があります。一般化しようとする脳に立ち向かうのは、勇気ある態度を常に試されます。
昔の苦しかった経験。
「それに比べたら今の苦しさなんて苦しいうちに入らない」
この言葉が持つ二面性について説明します。
- 同じ苦しさに立ち向かうための自己肯定へのメッセージとして発しているのか
- 与えられた環境を肯定した受け止め方をするためなのか
自己肯定と環境肯定。大きな違いですが、言葉にするとひとつになってしまうので、そのどちらの意味合いで使っているのかが重要です。
- 「この仕事は苦しい。でも昔やったあの苦しい仕事に比べたら楽だ。だからいま自分は苦しいことを理由に逃げ出さずに取り組もう」
- 「この環境でこの仕事をこなすのは苦しい。でも昔あった似た状況との違いは何か。わたしは何を持っていて、何を持っていないか冷静に判断して効果的な対策を立てることができる」
機微の違いによって大きく異なる理解。これは、経験という裏打ちがどのように本人にとって受け止められているかの違いでしかないということに注目すると、同じ経験をしても人によって捉え方が全く違う結果を生むことがご理解いただけるかと思います。
経験がない場合は、余計な入力は無意味ですから、まずはやってみることです。他人の言葉を信じたいのはわかりますが、それは恐怖心に負けている状態という捉え方をしてみてください。
苦しさの解が得られないときは、いまの苦しさをもたらしているものが何か、掘り下げてみましょう。それは何らかの自分がとっている行為に関連しているはずです。その自らの行為によって苦しみが起きていることを認識すれば、その行為を継続すべきか辞めるべきかの判断は自ずと明確になります。
それでも解消しないのであれば、そのまま続けることで卑屈になる自分を受け入れようとする無駄な努力が垣間見える。誰かのために生きることで幸せになることはありません。人生は短い。
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