古くからアジアの海上交易の中心地として文明を擁してきたマレーシアは、多民族国家としての歴史がとても長い。中国やインドとの交流は古代よりあり、中世にはアラブとの交流も盛んになった。近世においては、15世紀には既に日本との交易が記録されており、1511年にポルトガルによるマラッカ占領、1641年にはオランダによるマラッカ占領、イギリスによる植民地占領時代を経て、1942年には日本軍の軍政下に入り、太平洋戦争の集結とともにイギリス領に帰す。
1963年にマレーシアが成立し、翌々年の1965年にはマレーシアから追放される形でシンガポールが分離独立した。その後数々の動乱を経て、1974年にクアラルンプールが連邦首都に制定され、1991年には「ワワサン2020」(2020年ビジョン)が開始された。
ワワサン2020とは
ワワサン2020(Wawasan 2020)は1991年に発表されたマレーシアの長期開発計画。年率7%の経済成長により2020年までにマレーシアを先進国にすることを目標としている。日本語では2020年ビジョンと表記する場合もある。
(中略)
内容
マハティール首相は、マレーシアを国民の統一と社会のまとまり、経済、社会正義、政治的安定、政府のシステム、生活の質、社会的・精神的価値観、国民としての誇りと自信などの点において全面的に発展した先進国とする必要があると語り、またこれは実現可能な目標だと主張した。
戦略的課題
ワワサン2020ではマレーシア独立以来の課題、マレーシアの全面的発展のために克服すべき課題として以下の9つの戦略的課題を掲げている。
・統一されたマレーシア国民の形成。
・心理的に開放され、安定し、発達したマレーシア社会の創造。
・成熟し、合意を基礎とし、コミュニティに根差したマレーシア民主主義を実践する社会の育成と発展。
・全面的に道徳的・倫理的な社会の確立。
・肌の色と信条が異なる全てのマレーシア人が、各々の生活習慣、宗教、文化を自由に実践・表現し、かつ一つの国民として帰属意識をもつような寛容な社会の確立。
・科学的・進歩的な社会の確立。
・国民の福祉が国家や個人ではなく家族制度を軸として成立するような配慮のある社会と分化の確立。
・経済的に公正な社会の確保。
・全面的に競争的で強力な経済を有する繁栄した社会の確立。進捗
マレーシアではワワサン2020発表以前の1988年から高度経済成長が始まっており、1997年まで毎年8%台の経済成長が続いた。1997年にはアジア通貨危機が起きたものの、2000年時点で毎年7%の経済成長と1人あたり所得の倍増を達成した。
2018年6月、マハティール首相は日本経済新聞社の第24回国際交流会議「アジアの未来」で講演を行い、2020年までの達成は不可能だとする見解を述べた。2003年に首相を退任した時点では、彼はマレーシアが2020年までに先進国入りを果たせると考えていた。だがその後、後任の首相らは政策を変更した。マハティール首相は政策が適切ではないことが分かったと語っており、2025年までなら達成できるかもしれないと述べている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AF%E3%82%B5%E3%83%B32020
宣言したとおりに社会変革が実現しつつある(そして完成しつつある)という事実は、公約が守られないばかりか過去の柵や既得権益で雁字搦めになった日本から見れば大いに先進的であると評価したい。
自分の目で見てきたクアラルンプールは、他の東南アジアの諸都市(バンコク、台北、プノンペン等)と比べても明らかに自由で国際化された都市として文化的にも経済的にも発展していると感じた。
そして隣国は、いまやアジアでの存在感に疑問を持つ人はほとんどいないであろう、シンガポールである。兄弟のような国、インドネシアの成長も芳しく、これからのアジアの中心地のひとつとしてクアラルンプールは存在感を増していくだろうと確信を得た。
なかでも特筆すべきはやはり、自由という基盤が強いことだ。自由さは文化的にも経済的にも多様性を持つことで発展を促すよい土壌となる。
突き抜けたような南国の広い空のもと、自然に恵まれた大地における人々の活動には、極東にはない明るさがある。この明るさはタイでも感じられた。
マレーシア企業の一員としてその発展に寄与する機会を得たことにより、既に様々なメリットを感じているが、将来的にアジア全域にビジネス活動・社会活動を広げていく上で、東南アジアにおけるマレーシアの立ち位置を把握できるということは、Q3の発展のための手段も格段に増えると確信した。
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