Generalism

偶然などひとつもなく、あらゆる目の前の経験が、人様の寛容さと承認による必然によってもたらされていることを感じるようになりました。

僕が仮に他人に何か影響を与えているとしたら、それは過去に自分以外の誰かから与えられた影響によって獲得したもの(学ばせていただいたもの)を伝えているだけのことです。

どんな相手からでも学ぶことがあります。たとえ理解しあえない相手でも、必ず眩しいほどに輝くところがあるのです。これは綺麗事ではなく、実際にそうなのです。僕は人の輝くところに憧れ、己の未熟さに恥じ入り、なんとかそれに近づこうと努力し、挫折したりしながらも、恥ずかしいところだらけの自分と向き合うことを大切にして生きてきました。僕がときに大口をたたいているように見えたり、ときに冷たくあしらうように見えたりするのであれば、それは正直に自分にできることやできないことを伝えただけのことです。

他者の評価から己を見極めることは困難です。複数の他者を一括にして「みんな」とか「常識」で語れば、必ず見落としが生じます。単独の他者からの言葉を鵜呑みにしてしまえば、偏りが生じます。バランスのとれた状態、つまりこのブログでも再三述べている「中庸」を見極めてこそ、己と周囲との関係性を納得できる形で理解できます。

バランスを司る法則はシンプルです。そのシンプルさが腹落ちし、抵抗しなければ、物事は成り行きに任せるだけで望む方向に流れます。目先だけにフォーカスしているとそれは、望まぬ方向に進んでいるように見えることもありますし、どこに向かっているのか見えないように感じることもあるでしょう。しかしどのような時にも動じぬ羅針盤を手に入れた時、迷いはなくなります。心眼を手に入れるということは、このような状態になることなのかもしれません。

物事に善悪や正否はなく、すべては観察している視点による幻影のようなものです。

状況というものはすべて自分自身が作り出しているもので、それを理解すれば、変化させる手段も自ずと導き出されてくる。

偶然の連続のように好ましい流れを手に入れているとき、それは偶然ではなく必然であることを理解できるまで分析・把握ができるということは、自信を裏打ちします。