新年明けましておめでとうございます。
昨日友人に誘われて、3人で小さな新年会をやってきました。彼はいつも素晴らしいタイミングで誘ってくれます。
場所は誘ってくれた友人のご自宅と僕の住まいの中間地点でちょうどよいからということで蒲田に決まりました。蒲田には不思議と縁があります。今月末にも蒲田で新年会があります。こちらは取引先の方々と行うのですが、人柄がとてもよい方々なので、今からワクワクしています。それから、今週のアド街っく天国は、蒲田の特集だそうです。
新年会は、最高の時間でした。今回お誘いいただいた友人と会うと常に、普段ひとりで感じたり考えたりしていることが山ほど溢れ出てくる素敵な時間になるのですが、今回は普段よりも一層深いところの話ができました。
感性が繋がる会話は、少ない言葉で多くが伝わります。互いにいちいち詳しい説明をする必要もなく、共感度の高い集まりでした。エネルギーが溢れ出てくるような感覚に包まれて、すべての瞬間に幸せを感じました。これは友人が与えてくれる力だと思っています。
常々葛藤しながらも導き出してきた自分なりの答えというものがたくさんありますが、それが本当に正しいのか確証を得ることができぬまま、己の信じた道を歩むということは、多くの方にとってよくあることだと思います。それが間違っていなかったと思える友人との交流は、心から喜びを感じます。
このような友人たちに囲まれて生きていることが、最高の幸せだと思います。
先日、実家に親類が集まって、新年会に参加しました。甥の成人祝いも兼ねて、素敵なイタリアンレストランに行きました。そこで改めて感じたことは、我が親、妹、弟、義弟、義妹、甥たちすべて、集うべくして集い、成るべくして成っているのだということです。立場・年齢に関係なく、自分の身内の全員が善き人、尊敬できる人ばかりであることは、幸せなことだと思います。それぞれ違う舞台で違う生き方をしていても、我が家系には見えない一本の筋が通っています。「ご先祖様に恥じない生き方をしている」と思いました。
ところで、近年強く感じていることは、自分がもつ直観をもっと信じるべきだということです。
大枠において自分は直観に反することはできない性分なので、道を外すことはほぼないのですが、しかしまだ己の一部には不安や疑いをもつ反論者がいるため、それが決断に苦しみを呼ぶことがあります。結果的には正しい道を選択するとはいえ、決断の過程における苦しみはもう少し除外してあげる必要があると思っています。そうしないと、葛藤によって命すら削っている感覚があるからです。もっと大船に乗ったつもりで自分の決断を楽天的に信じてあげられるようになりたい、そう強く思ったのです。
そう思った理由のひとつには、自己鍛錬との強いつながりがあります。心技体どれをとっても、常に鍛錬し続けることが人生の喜びであり、「備えよつねに」の真髄だという点に疑いはありませんし、いま目の前にある選択肢からどれを選ぶのか決定するためのプロセスに妥協があっては、のちに人を傷つける結果になったり望まぬ結果になったりするリスクがありますから、常に徹底的な考査を行ってきました。そのプロセスにおける苦しみは、のちに「取り返しの付かない苦しみ」つまり後悔をしないための重要なプロセスだと信じて生きてきている自分を認識したのです。
しかし近頃、決定に関してそこまで自分を追い込む必要があるのかどうか疑問が湧いてきたのです。
確かにこのようなやり方は後悔を産みにくいけれども、消耗が激しいです。しかも歳を重ねるごとに経験と知識が蓄積されてきますから、考慮する内容が膨れ上がってきます。それらをすべて考えていくためにゾーンに入り、徹底的な思考実験をする。そうすると、消耗が激しいです。
消耗の問題だけならまだしも、それだけ深い検討を行ってようやく決定したことを実行に移し、その結果をみると、結局最初に得た直観が出した答えとまったく同じなのです。
自分を過信することは驕りにつながる。それで後悔したくない。その思いから、僕は自分にできる限りのことをきちんと検証して、相手の思いや自分の思いがつながる計画をつくり、進めてきたつもりです。でもこれはもしかしたら、失敗したときに自分を慰めるために言い訳を事前に作っているだけなのかもしれないと思い始めたのです。
しかし面白いことに、考えて出した結論と感じて出した結論が異なるとき、最終的にどちらを選ぶかというと、100%、感じて出した結論なのです。ではどうしてそんな深い思考プロセスを経るのかというと、いくつも理由があるのですが、主に次の2点です。
- 自分の直観が間違っている可能性を無視したら、ただの傲慢な人間に成り果てる
- 直観で得た選択を正当化するための(自分を納得させるための)理由を言語化したい
上記1番目については、自分を信頼することと、勇気を出すことと深い関連があると思いました。間違った選択(人を傷つける選択、不本意な選択)はそもそも取れるような人間ではないと、どこまで自分の人格や誠実さを信用できるかということです。信頼したら、権限委譲すべきです。
上記2番目については、自分の弱さからくるものです。
結局どちらも、自分の弱さと対峙すべきだということを教えてくれます。自分を信じて突き進むということは、簡単なことだと思ったことは一度もありませんが、シンプルなことです。それを実践していくことで、もっと楽に物事を決断できるようになるだろうと思いました。
自己鍛錬の観点でみれば、決断の葛藤に費やす時間を、もっと次の創造や実行のために費やしていくところで維持できると思いました。
ということで今年の抱負は「さらにさらに、直観を信じよう」です。
世の中や自分の生きている環境がどんどん、自分の願ったとおりになってきています。
さらに次の世界を見てみたい。
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