すべての事象には多面性があるから、最初の印象だけで物事を判断してしまうのは自分にとっても損だし、対象を的確に捉えることができない。
とはいっても人にとって印象というものは重要で……、というか印象だけでこの世は成り立っているようなものだ。
物事の本質なんてものは、あまり重要視されていないのが現実なのだ。
自分はすぐに感化されやすいというか、なんでも鵜呑みにしたり、影響されやすかったりする性質なので、常に複数の視点を持つということの重要性をいつも自分に言い聞かせるようにしている。それでもやっぱり、第一印象っていうのはとても大きいし、世論の影響や、活字になった主張っていうのはすごく強くて、なかなか難しいと感じている。
以前も書いたけど、
誰だって本当の本当のことは 同じ立場になってみなきゃわからない
想像はできたって それは違うレンズを通して見てるんだってことを
忘れちゃいけない 絶対に忘れちゃいけない
ってことです。
この本の著者、安田好弘氏は、多数の凶悪事件の弁護を担当してきた弁護士だ。
最近の事件でいえば、オウム真理教事件、和歌山カレー事件、耐震強度偽装事件、光市母子殺人事件など、どれもマスコミで大々的に報道され、世間の注目を浴びた事件ばかりだ。
つまるところ、このような世間的に見て「凶悪」な事件の場合、弁護を引き受けてくれる弁護士は本当に限られているわけで、ほとんどのケースで安田氏に話がまわってくるらしい。
そんな安田氏が書いた本が本書です。
世論について言えば、過去においてはテレビや新聞をはじめとするマスコミの報道による影響が非常に強かった。しかし今ではインターネットという強力なコミュニケーション手段があり、様子が変わってきている。
少々偏りがあるかもしれないが2ちゃんねるのようなコミュニティでも、日々起こる事件について多くの人が匿名で言いたいことを書きこんでいる。
それを見ていて、恐怖というか不安のようなものを覚えることが多い。
インターネットは、ちょっと検索すれば欲しい情報がすぐに出てくる魔法のようなツールになっているが、出てくる情報がすでに偏っている場合、検索した人が得られる情報はすでに偏ったものになる。
光市母子殺人事件で、最高裁による差し戻しがあった後、弁護団がものすごいバッシングされたのを覚えていますか?
この本を読んでみてほしいと思います。
受動的に入ってくる情報だけを使って短絡的に判断してはいけない。
被害者にも、容疑者にも、弁護士にも、検察にも、そして裁判官にも、さまざまな事情があったことがわかります。
いや、そんなこと知りたくもないし分かりたくもないっていう人のほうが多いのかもしれないな。
しかし日本でも近いうちに、一般の市民が裁判にかかわることになります。
はたして、感情に左右されずにうまく罪を裁くことができるのでしょうか。
非常に不安です。
いま私たちを取り巻いている「極刑やむなし」というムードは、とても怖いです。
普通の人が普通に生活していたら、人間の精神の極限状態に何があるのか、世の中にどんな不条理があるのか、どんなに深い闇があるのか、知ることはできません。
しかしそれを解いて、理解していかないことには、犯罪者の心理というものはわかりません。
自分の視点だけで物事をとらえる人がどんどん増えていけば、恐ろしいことになります。
ひとは、感情だけで行動してはいけない。
しかし感情ほど、ひとの行動を制限するものもない。
この世の中、自分がどれだけ冷静になっていられるか。
どれだけ、自分が信じて疑わないものを疑うという意識をもっていられるか。
これが重要だと思います。
いろいろ考えさせられる一冊でした。
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