異文化

国際的なプロジェクトに携わっていると、色々と決めつけるように相手の文化を判断しようとする人たちがとても多いことに気づきます。そして、そのような誤解はプロジェクトの成否や、国をまたいだ会社関係の善し悪しにまでかかわる重要な事ですが、とくに私がいま居る日本では、他国の文化が軽視されがちだと思います。こうした事態に対処すべく、いくつかの提案を行ってみましたが、その理由とか内容についていまいち理解してもらえなかったので、同じプロジェクトに携わる何人かのメンバーがこのブログを読んでくれることを期待して、少しだけ「異文化」について書いてみようと思います。

ブリッジエンジニアリングにおいて日常的な異文化理解が重要であるという意見は以前の記事に書きましたが、異文化に対する理解を深める努力よりも先にすべきことは、異文化に接する姿勢づくりです。

プロジェクトに携わっているメンバーの中でも若手や国際経験のない人が陥りやすい罠がここにあります。他文化の特殊性についてより客観的に評価を行うためには、自分が属する文化に対する理解と、それを一歩引いた視点で評価できる能力が必要になります。つまり、日本人のエンジニアとして今まで当然のように受け入れて実践してきた手法や論理が、日本文化という特殊な環境下でしか通用しない場合のほうが多いという事実を受け入れることです。

自国の文化を理解するということが、実は一番大変なことです。ここには豊かな国際経験と、その経験を活かすセンスが求められると僕は思います。他国での長期生活を経験したことのある方ならお分かりになると思いますが、日本という国の特殊性は、あるときは神秘化され、またあるときはバッシングの対象として、西欧諸国に対して日本という国の独自文化を強調してきました。そしてこの事実を一番知らないのは日本人自身です。国際経済において日本の注目度が下がってから、日本に対する興味はより文化的な部分がクローズアップされつつあります。特に米国では日本ブームが始まってからかなり時間が経ちますが、日本マニアとでもいうべきフリークたちが、我々日本人が唖然としてしまうくらい日本文化への深い造詣を持っています。例えばニューヨークにはうまい蕎麦を出す店がありますが、そこでは生粋のアメリカ人が、山葵をきかせた汁に蕎麦をどっぷりとつける日本人をたしなめるという光景が見られます。寿司屋でシャリに醤油をつけようものなら笑われてしまうでしょう。しかしここで言いたいのは、シャリに醤油をつける日本人もいれば、蕎麦を食べない日本人すら存在するということです。

生活面だけでなく、ビジネスの面においても日本は多くの点で独自の文化を持っています。それに気付くことが、日本人の仕事の進め方の特殊性を知る第一歩だと思います。

ただし、自国の特殊性について考えるときに、注意すべき点がもうひとつあります。私たちはあまりにもアメリカナイズされているということです。自国文化を客観的に評価するためには、比較対象となるべき他国文化というものが必要になります。ビジネス、特にいまトピックにしているソフトウェアやハードウェアの生産という分野においては、インドはアメリカを向いています。ですから、アメリカを基準に考えることである程度私たちの特殊性を浮き彫りにすることは可能ですが、これは必ずしもうまくいくとは限りません。私たちの多くは、実際にアメリカにおけるビジネスを経験していません。ほとんどの場合、書籍やWeb、人の話などによってアメリカンビジネススタイルというものを勝手に妄想しているのです。そして、情報を伝える人がアメリカ人である場合、盲目的に信用してしまいがちです。しかしよく考えてみてください。日本人である私たちが海外で日本的ビジネススタイルについて紹介をするとき、どのようなことを話すでしょうか。そうです、アメリカ人だからといって言う事をすべて鵜呑みにしてしまっては、正確な理解はできないということです。

何人かの知人に言わせればとても疲れる方法ということですが、私のやり方は起承転結で物事を捉えるという方法です。文化的背景よりも、一個人の利害関係や動機などについて考える方法です。このやり方については、正しいのかどうかわからないので他人に紹介してよいものかどうかわかりません。しかし、この方法で人と接すると、相手の国籍や文化的背景に左右されることなく物事を判断しやすくなります。何を説明しなければいけなくて、何を説明しなくてよいかもわかります。(何を説明しなくてもよいか、というのはその相手がどのような文化的背景を持った人かによって大きく変わるものです)

起承転結で会話をしていると、相手の発言に文化的なバイアスがかかっているとき、すぐに気づくことができます。それだけでなく、ポリシーとか性格とか宗教とか、何らかの原因で他人(他文化の人)には理解できない「前提事項」が浮き彫りになります。この「前提事項」とは、聞き手が当然説明されるべきであろうという内容が説明されないもののことを指します。「前提事項」を正確に判断できたら、それと「話の内容」を分離して評価することで、間接的に相手の属する文化における考え方が理解できるようになります。このとき注意すべき点は、それが相手の文化から発生しているものなのか、それともより個人的(もしくはその人の家族とか会社とか、より小さいコミュニティでしか通用しない)ものなのかをきちんと判断することです。それによって、行動原理とそれが属する文化を正確に分類することができるようになります。

僕の意見としては、ここが一番気をつけなければいけない点だと思います。そうでなければ、ただの思い込みで、まったく役に立たないひとりよがりの異文化理解になります。必要であれば、理解の手助けのためにいくつかの質問をします。具体的には、例えばあるシチュエーションを仮定して相手にどう対応するかを尋ねたりします。より直接的に、「いまの発言(もしくは行動)って僕にとってあんまり馴染みがないのだけど、どういうことか説明してくれる?」と聞いてみたりもします。相手にもよりますが。実際にはこの分類に失敗している人が一番多いと思いますし、ここで失敗すると致命的で、それならば理解なんてしようとしないほうがましなくらいです。

そして、一国の文化というものは、バラエティに富んでいるということを決して忘れてはいけません。

「日本人は几帳面だ」とよく言われますが、几帳面じゃない人もたくさんいるように、納豆が大好きなアメリカ人もいれば、カレー嫌いで計算の苦手なインド人もいるということです。

まずは、外国人を一人の個人として接するところからです。「外国人」とか「なんとか国人」で括ってしまっったら、そこでもう異文化に対する誠実な理解というものはできないと思います。

色々ややこしく書きましたが、いつもこんな風に考えてやっているわけではなく、こういう考え方が自分にとって一番自然だということです。

同じ日本人同士の他人と接するのも、同じことだと思います。

誰でも頭では分かっていることだと思いますが、他人を100%理解するなんてことはまず、ありません。自分自身すら理解できないのに。だからこそ、文化という名目のカテゴライズは日常生活において非常に便利です。でも過多な期待は失敗を生みます。