毎日が、綱渡りだけど

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TOEICのことについてだらだら検索してて、たまたま見つけたこちらのサイト

TOEICについて書いてある記事も楽しく読んだのですが、感動的だったのが、同サイトに掲載されている「外資企業で頑張る!への道」のコーナー。

管理人さんの経験に基づいた様々な教えが書き込まれています。

これがもう、今まさに自分の置かれた状況にぴったりフィットするような言葉が満載でして。

とくに「上をサポートしてなんぼの世界」とか「上司を嫌いになったら、終わり」のエッセイには、後頭部をガーンと殴られたようなショックを受け、反省。

身近にメンターがいなくても、このように、思わぬところで出会う言葉に救われます。

前回は書籍から、今回はWebサイトから……。

ほんとにもう、これが神様とかの意図で出会っているのだとしたら、神様に心から感謝せねばなるまい。

わたしと上司との関係は、劇的に改善されてきています。

わたしの反骨心(つまり生意気さ)が、関係を極度にギクシャクさせてきたことは認めざるを得ない。

しかし、良かったこともある。

いま、最大限のリスペクトをもって上司と接している。それによって、上司もわたしの気持ちをとても気にしてくれるようになってきている。これが、入社してからずっとイエスマンでやってきたら、このような関係を気づくことができただろうか?(否)

それに、ぶつかってきたからこそ、納得できないところはとことんぶつかった上で、いい関係を維持できる基盤ができるのではないか。そう思う。これからだって、納得できないことは盲目的にコミットすることはないだろう。

しかし、コミットしたからには全力を尽くす。これは、変わらない。

 

インドでのオフショアを使ったプロジェクト。

いままで経験したことのない初めての問題も、毎度毎度たくさん出てくる。しかし、毎度毎度出会う、同じ問題もある。インド人に対する理解が足りない自分の問題なのだろうか、それともインド人が日本を理解していないのだろうか。

彼らは、unreasonableな課題に面すると、その問題を抱えている顧客企業を見下げるという悪い傾向があるように思う。

彼らは、総じてとてもプライドが高い。とくに一部のエンジニアは、自分たちのやっていることが否定されることに慣れていない。
要するにお子様な部分がある。
インド人は、同じアジアの一員として、欧米人のような「白か黒か」ではなく、その中間を許容できるところがメリットだと思っている。

しかし、日本人でも白黒はっきりさせたい若者が増えているのと同じ理由で、インドでもアメリカナイズ(ウェスタナイズ)された若い世代が着実に増えているようだ。

それでも、未来を信じたい。でなければ、自分は一体なんのための架け橋なのか、わからなくなってしまうから。

前線で自分がモノヅクリに参加したいという強い思いと、前線に出ようとしているインドの若い世代を、日本市場でうまく使っていくためのバックアップをしたいという強い思いが、いま自分のなかでぶつかりあっている。

 

いまのプロジェクトは、お客さんの会社にとってもチャレンジだ。
海外とのコラボレーションに慣れていない、純日本的企業が、グローバルなスタイルで今後発展していけるかどうか。

この会社は、何年か前にも別の部署がインドの会社(ウチなんだが)と共にプロジェクトを立ち上げ、失敗している。

だから今回、このプロジェクトがコケたら、きっと「そうれみろ!」という人がたくさんいるだろう。

そして、この会社にとって、インドのリソースを活用するという選択肢は当面なくなる。

再びチャンスがくるのは、いつのことになるだろう。

幸いなことは、いまのプロジェクトにかかわっている人たちは、うちの会社との良い関係を今回築くことができたら、今後もどんどん関係を深めたいと言ってくれている。

そしてインドの企業とコラボレーションした経験は、決してうちの会社との関係だけでなく、インドに星の数ほどあるIT関連企業との将来のコラボレーションを約束してくれるはずだ。

日本企業は、近い将来、IPRや上流工程に特化したエンジニアを今よりたくさん育てていく必要に迫られる。

若い世代の人数は、着実に減っているのだ。

 

それだけの重みを背負っていまのプロジェクトに挑んでいる気になっているのは、もしかしたら自分だけかもしれない。大げさだと言われるかもしれない。

しかし、10年後、20年後にいまを振り返ったとき、あれがターニングポイントであったと振り返るときがくると、信じている。

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