怒り2

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今思い出したぞ。

怒りこそが原動力。だった。

世間への、人生への、自分への、親への、世にはびこるクソ野郎への、見えない何かへの、ぶっ飛ばしたくなるような屑への、怒り。その時々で理由はいろいろあるんだ。

人当たりがよく明るい性格の裏には、燃えるような怒りをいつも抱えていた。
その怒りをガンガンと内に燃やし、自分にぶつけてきた。
とんでもない怒り。どうにも手に負えないチカラ。

怒りが無くなったとき、自分を見失った。

「普通に生きる」って何だか分からない。そうだ、分からないことが出来るわけがない。
すんごくスッキリした。解答だ。

誰にも差し障りなく生きていることが美徳?バーカ死んじゃうよ。

たぶんだけど、今までがずっとそんなだったから、正しいエネルギーの使い方を知らないんだ。

怒りのままに、絶望のままに、そして人生というとても暗くて先が何も見えない樹海のような場所で、ただ闇雲に目の前に生い茂る刺々とした枝を掻き分けながら闇雲に前に進んだ。

たとえば仕事ひとつ見ても、怒りに我を忘れたようなエネルギーをもってぶつかってきたから、バイトでも仕事でも今じゃ考えられないような結果を叩き出してきた。
しかし所詮、会社にとって自分は道具でしかない。
その事実を否定したいかのように評価を求めてきた。しかしそれは思えば馬鹿な話だ。フル回転で貢献し、壊れたら捨てられた。誰も自分にそうやれと命令したわけじゃないから、誰も責められなかった。何度も見捨てられながら、何度も新しいスタートを切って、走り続けた。

自分にとって「使えない奴」と言われるのは万死に値する評価だった。

膝がガクガクしても頭の中がトゲトゲしても、怒りにまかせて渾身の一撃を振るい続けた。

怒りは時に、度を越すと自己破壊的衝動に繋がる。

まるで波打ち際に作られた砂の城のように、建てては壊し、壊してはまた初めからやり直してを繰り返した。何度も、何度も。

多くの出会いと、別れを繰り返し、そのたびに深く傷つきながら。

やがて怒りのエネルギーの抑え方がわかるようになってくると、大人になったふりをした。

大人になったふりをすると、周囲が安心した。

それで正しいのだ、と思った。

そして怒りのエネルギーは消えていったのだと思っていた。

しかしそんな簡単に消えるものではない。

無理にねじ伏せられたエネルギーは自覚のないまま様々な形となって人生の邪魔をしてきた。

ある時は異常なほどの落ち込み、空虚感、絶望感。

ある時は制御の効かない訳の分からない感情。

この年にもなっていまだに、自分は怒りのエネルギーを利用する以外に、前に進む方法を知らないんだ。

怒りを抜かれた自分はまるで、背骨をなくしてしまったように、ただの屑だった。

医者なんて、当たり障りの無いことしか言わないんだ。

あいつらに俺の経験してきたことが分かるわけがない。

そんなのを「はいはいそうですか、なるほど」なんて相槌を打ちながら、言われるままに薬で頭を麻痺させて、はい僕ちゃんはうつ病なんですよーだから大事にしてくださいねーなんてやっていくのか?

バカじゃねーの。

会社で波風立てたくなくて、ヘラヘラと愛想笑いしている自分に反吐が出る。ぶっ飛ばしたい。

与えられた仕事をなるべく問題なく処理して誰にも文句を言わせず平穏無事に給料もらってりゃ、それでいいのかよ。

お前、一体何のために生きてんだよ。
今まで、どんだけ苦労してきたと思ってんだよ。
それはみんな、こんな自分になるためだったのかよ。

鏡で自分を見てみろよ。
生きてる意味あんのか?

エネルギーを使えよ。

怒りにぶつけるしか使い道を知らないのなら、ぶつけ方を学べよ。

今からだって遅いなんてことは無いだろ。多分。

もっと自分を出せよ。

嫌われることを恐れるなよ。

その怒りと穏やかさのギャップが自分をおかしくしているんだって気付けよ。

コメント

  1. よも より:

    インザプールみたいだ。