なぜこの病気になってしまったのだろうかとか、何がいけなかったんだろうか、などと考えてもどうしようもないことだ。ずっとずっと今でもくすぶっている疑念(自分は本当にこの病気なのだろうか?)も、実際に病名が何であろうと関係ない。とにかく集められるだけの情報を集めて、とれる対策はできるうちにとっておかないと、取り返しのつかないことになる。
いったん躁転してしまうと、恐ろしいことに、病気のことなんてどうでもよくなる。「やりすごしたんだし、いいじゃないか」という気持ちになってしまう。また、せっかく調子が良いのに、病気のことなんて考えてまた落ち込んだら嫌だから、臭いものに蓋をするように、見て見ぬふりをしてしまう。
このやり方ではもう、どうにもならない。
自分はいま、自分ひとりで出来る限界を感じている。無駄にプライドが高く、傷つきやすく、弱虫で強がりである自分は、人に助けを求める方法がまったくわからない。しかしいま、どうやら誰かの助けを得ないことには、もうどうにも身動きがとれない状態になってしまっているようだ。
人に心配をかけさせまいと平気なふりをしたりするのは、同時に、自分自身を安心させたいためでもある。そういう格好ばかりの態度で立ち向かうべきではなく、いまここに、すべての心配事を含めてさらけ出してしまうほかに方法はないと考える。
治療方法について
薬物療法以外にも、たとえばWikipediaの双極性障害の項目を読むだけでも、様々な療法があることがわかる。
これだけ長くこの病気と戦っているのに、主治医から疾患教育を一度も受けたことがない。 IPSRTに効果があるのなら試してみたい。ほかにも、認知行動療法、カウンセリング、電気けいれん療法、催眠療法、東洋医学(漢方、鍼灸)、何だって試してみるべきなんじゃないか?
私の主治医は、病の根治を目標としていない。信頼できる精神科医を見つけることは非常に困難だ。擬態で処方を受けるクソ連中がこうした土壌を生む一翼を担ってきたともいえるが、基本的に精神科医は信用できない。しかも不治の病とくれば彼らにとって尚更おいしい。良い病院を探す必要がある。以前行った上野の某クリニックもあまり信用できない。もっと患者の見地を重要視して情報開示し、服薬以外の総合的な対応が可能なところがあるはずだ。
双極性障害と神経伝達物質
脳内モノアミンと呼ばれる3つの重要な神経伝達物質。セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン。双極性障害の躁状態、鬱状態を招くのは、これらの物質のバランスが崩れるためだと言われている。実際に症状を体験している者にとって、非常に興味深い。
双極性障害とミトコンドリア
躁うつ病(双極性障害)にミトコンドリア機能障害が関連
双極性障害と自殺
正直なところ、一番心配なのは自殺の危険だ。変な言い方だけど、死と隣り合わせの状態に気持ちが慣れすぎていて、あまりこうして言葉にすることができていなかったように思う。ブログにこのような内容を記述するのはどうかとも思ったが、同じ病気で似た様な気持ちで悩んでいる人だっているはずだし、自分の身の回りの人たちにも、いま自分の中で何が起こっているのかを知っておいてもらう必要があると思った。
この病気における自殺は、生への執着でも他人へのアピールでもなく、自分の生命に終止符を打つために行われる。確実な方法で行うため、自殺未遂の履歴が少ない。リストカットやオーバードーズなどといった確実に死ねない確率の高い方法は用いない。もしそういうことをやるとしたら死にたいのではなく、現世で誰かに伝えたいメッセージが何かあるということ。自分自身、どうやったらより確実に死ねるか、何度も調べたことがある。
本当に辛い時ほど、弱音を吐くことができない。どうにもならない状況になればなるほど、身動きがとれなくなる。そしてついにギブアップを表明することなく死んでいく。自殺は、この病気に屈したというよりは、極限状態まで追い詰められた本人の視点からいえば、最終的な勝利であり、病気からの心の解放であることがわかる。
自分をこの世につなぎ止めているものは、若い頃はもっとあったように思う。それは希望だったり、将来への展望だったりした。しかしそういったものが見えなくなってくると、この世と自分をつなぎ止めるものは、人との絆しかなくなる。それが失われたら、もう何もない。また、それを維持する気力を越える苦しみが続くことが恐ろしい。
救い
救いの手などない。信じるべきは己の力のみ。他は何も期待していないし、してはいけない。他の誰かや何かに頼ってどうにかなるものでもないし、なったとしてもそれは単純に私の肉体的救済が成功したというだけで精神の救済は自分自身で行う以外に手がない。己が負けたときはそれはもう仕方がないというか、人生そこまでだったんだなと諦めるしかないのだろう。今はかなり劣勢で、死なない理由は「死にたくないから」とか「死ぬのが怖いから」ではなく、死ぬことで「人に迷惑をかけたくない」とか「悲しい思いをさせたくない」という気持ちがあるから。これは世の中と自分がまだ繋がっているという証拠だ。迷惑かける相手も心配してくれる人もいなくなったら、躊躇なく命を絶つということがわかる。人間とは不思議な生き物だ。命の価値は他人との意識の交流にしかない。また、その事実を全然わかってない人が多い。それがなくなったら、生きる理由なんて、ないんだよ。文化とは、意識の交流そのものだ。人が自分に生きていてほしいと思う理由とは何だ?あなたは一体なんのために生きている?なぜ、あなたでなくてはならないのか?答えは、あなたという存在がこの世で唯一無二のものであるからだ。ところで、比較する対象が無ければ唯一無二を定義付けることはできない。即ち、孤独になったら人は死ぬ。問題は、それが「真の孤独かどうか」ということは全く重要ではないということ。真の孤独状態に置かれることは、この世界において非常に難しい。たいてい誰かがあなたを見ている。しかしそれに気付くことができなければ、本人にとっては孤独と同じということだ。
人間の脳というものは、主観だけでできている。デリケートで脆弱な器官であることを認識しておくべきだ。それなのに我々は、自分の脳を信じすぎている。
脳内の神経伝達物質にちょっと異常が発生しただけで、世界が一変する。
たとえば酒を飲んだ時だってそうだ。細かいことを言えば、タバコ(ニコチン)やコーヒー(カフェイン)も脳に作用している。人は、自分が変化してしまうことを恐れるようにできていると信じ込んでいるが、実は自分でそういった物質を取り込むことによって自分の状態をコントロールしながら生きているのだ。その最たるものが「美食(グルメ)」だ。その他、鍼灸、温泉、マラソン、中国整体、タイ式マッサージ、エステ、美容室、ヨガ、麻薬、媚薬、旅行、アート、健康食品。世界は苦痛と快楽でできている。
この病気によってさまざまな精神状態を経験してきた。本当の自分とは一体何なのか。それを定義付けているのは誰でもない自分自身だ。躁状態で頭が回転しまくり、様々な新鮮な気分や息を飲むような景色やアイディアが心の中を駆け巡る、そんな状態も間違いなく自分だし、真っ黒としか表現できない、闇の世界で身動きが取れなくなり絶望するのも自分だ。これらはおそらく上記の神経伝達物質によってもたらされるものであり、残念ながらそれをうまくコントロールすることができない自分は、天国と地獄の夢を見る。はっきりいって、何が現実で何が非現実なのかもよくわからない。すべての想像力は妄想につながるし、妄想を現実世界に落とし込めばそれはアートとなる。こうした境界のような場所を危なっかしい足取りで綱渡りのように進んでいくのが人生。これを感じられない人は健常。足を踏み外せばもうその先には何も無い。
とにかく、死なないための何かが必要。そのためには、心を震わせなければならない。感動しなければならない。
双極性障害と有名人
ある人から以下のようなリストをもらった。
ベートーヴェン、チャイコフスキー、シューマン、ヘンデル、マーラー、ジミ・ヘンドリックス、カート・コバーン、ブライアン・ジョーンズ、アクセル・ローズ、スティング、ピーター・ガブリエル、ゴッホ、ゲーテ、バルザック、トルストイ、ミケランジェロ、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、夏目漱石、宮沢賢治、エイブラハム・リンカーン、ウィンストン・チャーチル、メル・ギブソン、ロビン・ウィリアムズ、ジム・キャリー、ティム・バートン、ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ヴィヴィアン・リー、マーゴット・キダー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リンダ・ハミルトン、ケビン・カーター、チャーリー・パーカー、フランシス・フォード・コッポラ、チャーリー・パーカー、北杜夫、フランセスコ・スカヴロ、ドン・シンプソン、etc…
For more: http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_people_with_bipolar_disorder
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