2014年――1月は悪夢のようだったなー。ここまですごく頑張って何とかなっていただけに、ここでまたまた!またかよ!またダメなのかよ俺!って思った。
そういう病気なんだから当然来るわけですけど。つらいよ。まだ病識の甘い自分にもイラつく。家族に心配かけたくない。俺はまだまだやれるんだ。やれるのにやれてないだけだ。何かタイミングとかそういうのが上手くいってないだけだ。
・・・いいかげんすべて受け入れて対策に全力を尽くせって思う自分もいる。けれどやはり心のどこかで自分を責めてしまうし、病気のせいにすることが逃げだと思ってしまう。そしてそれは、ある程度間違ってない。他人や病気のせいにして片付けてしまったら、それはもう考えることをやめるということだ。人生の敗北だ。それだけは絶対に許せない。それに、めんどくさい話だけど、忘れてしまうには多すぎる人たちを失望させてきた。これもホントにどうにか心のなかで決着つけたいんだけど、失望した人たちの多くは、やっぱり期待してただけに失望するわけで、その結果、お前は人でなしだとか、お前のように人の信頼を裏切る奴にはろくでもない未来しかないだとか、ここで続かなきゃお前は一生ダメだとか、今でも忘れられない言葉の数々がうようよしてる。それらの(僕にとっての)暴言を吐き捨てられて、心は荒み、人は去った。それでも信じてくれた人がいたからこそ、今こうして家族がいたり、仕事があったり、幸せを感じる瞬間を得ることができたりしてる。
マイナス思考になると、その失望した人たちの思いの責任を取らなければならないし、暴言を吐かせるようなひどいことをした反省の気持ちを簡単には忘れられない、と思う。それも、間違ってない。
2020年には双極性障害の化学的な機序が全解明される見込みらしい。それは楽しみだね。今はどんなに頑張って予防してたって、うつ病エピソード入ってしまったら、対策もなにもないから。
たぶん1月は躁と鬱の混合状態だったと思う。絶対にどちらかではないよって話は聞いてたけど、ああこれが混合状態なんだなって実感した。まあこうやって素人判断するのが良くない。
去年までは「元気なうちにがんばらないと」って思ってたし、がんばってたし、上手くいってたんだけどな。どうしてこうなっちゃったのかな。
躁は楽だし、他人に迷惑かけてるかもしれないけど、症状を認知していないケースが多い(そして後で気づいて恥ずかしくて消えたくなる)
しかし鬱状態は本人がつらい。人によって、あるいは状態によって程度が違うらしいけど。あんなの繰り返してたらホントこまるよ。かつて知り合いが「腸炎は出産の次に辛かった」と言っていたが、「うつ病は腸炎より辛かった」という人もいる。つまり、うつ状態の辛さは腸炎と出産の狭間にあるのかもしれない。
ま、個人的には腸炎のほうが辛かったかなw
2月になっても、復調の見込みなし。闇だったねえ。つらかったねえ。
3月に入り、夜明けを感じた。いけるかも、的な。
そして今に至り、元気なので、また頑張ってる。ここまで念入りな対策がとれるほど元気になったのは、おそらく2010年とか2011年あたり以来だ。 長かったなあ。3年近く沈んでたのか。なんとか生きてきたけど、いろいろ残念だなあ。後悔したくないから、振り返らないようにしなきゃ。でも、省みないと改善しないからね。まあよく生き抜いたし、生活もなんとかなりそうな。自分を褒めてあげよう。
生きるためには寝ていられない。働けない恐怖ったらない。生活を支えられないかもしれない未来を想像すると、本当に怖い。まあでもこの時代、誰でもそのプレッシャーを抱えて生きてるんだよね。なにも自分だけが特別じゃない。
煙草をやめた。今回はホントのホントにこのまま一生やめられそう。 自分を試したかった。というかやっぱり常日頃から何においても「こいつ本気でやってないんじゃね?だから調子悪くなってんじゃね?」って周囲から思われるのは仕方がない病気なのですよ。
だから少しでもそう思われる要素をなくしたいし、タバコはそのひとつだ。「タバコもやめられないんじゃ、お前さんの気合いなんてたかが知れているよね」って言われたらグウの音も出ない。
そして何より、自分で自分を信じたい。本気で頑張ってるよな俺?て、自分で自分を認められるようにしたい。
文句がつけられないくらい頑張って、それでもあの絶望からは逃げられない。起きるときは起きる。だらけたり、怠けたりしてるわけじゃなくても、起きてしまう。 だからこそ、禁煙失敗なんて今回はありえなかった。たかが禁煙なんだけど。失敗したら、次回落ちたときに何かそういう風にまた思われるかもしれないし、そう思われているかもしれないって思っちゃう自分が自分にプレッシャーかけちゃうでしょ。
ダイエットも始めた。デブは自己管理ができてないって思われることもあるし。これも禁煙と同じで、自分で自分を(略)
生きていくうえで少しでもリスクを減らしたい。家族には本当に力強く支えていただいていて感謝しきれないくらいです。それでもやっぱり、自分がコケたら終わりっていうリスクがある。なんの保障もない。
まあ、何とかなっちゃうんだけどね。
成功してたって、明日死んじゃうかもしれないし。
本当はもっと緩くてちゃらんぽらんな自分の性格。それに合ったに生き方ができればいいんだけど、今はすべてにおいてベストを尽くさないといけないんだって思い込んでいるのかもしれない。だって仕事を失う=前途がなくなる的に考えちゃう。でもそれってもはや、人生を仕事に縛られてるね。その考え方自体がリスクだね。それで仕事なくしたら精神的ダメージも大きいし、最近の記事で書いたように、ストレスが脳の炎症の原因になるのだとしたら、ストレスなんて大敵じゃないですか。
どうにかして、少しでも安定した生活を送りたいのです。経済的には、なんとか屋根のあるところで生きていければいい。
ここらへんで考え方をバシッと変えて、チャレンジしないとね。仕事でクソ頑張れって意味じゃなくて、グダグダ言ってんなってこと。
守りに入るというのは、(個人的に)負けです。攻めて攻めて、やっと得られるものがどれくらいなのかわからないのに、守るなんてそりゃ、よくて今までと同じで、たいがい目減りしていくんです。
朝型生活にした。
もちろん自己管理能力を高めて体力的、集中力的な側面からムードを安定させたいんだけど、さらにやっぱり心の負担も軽くなるよね。つまり、自分の人生のプライオリティも大事だし今までどおりだけど、自分を取り囲む環境から求められているものを提供することに対して少しだけ優先度を高める努力してみたつもりだ。
★★★
梅雨になっちゃったけど、晴れている日や雨上がりに散歩するのがたのしい。ワクワクする。 そんなワクワクしてる余裕がある自分が、とてもうれしい。
西は真っ赤で。真上は紫。東はもう群青色で、月や星がみえている。 マジックアワー。日本では黄昏(誰ぞ彼)時、逢魔が時(大禍時)とも言うので、あんまり良い時刻じゃないみたいだけど、 一日のうち数分しかないこの時間が大好きだ。心が洗われて、想像力で満ちあふれるよ。
なんかもう、このままどっかに行っちゃいたいなーとか、
映画や漫画や小説で、こんな感じの気持ちになったシーンがあったなーとか。
生きているってことを感じる。 すごく基本的なこと。
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