苦しさの果てに

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酸いも甘いも経験しまくってきたという驕り。
そんな自分に与えられた試練。

苦しくて、苦しくて、いっそのこと誰か僕を殺して楽にしてくれと叫びたかった。
重い体を引きずるようにして、info.caffeに立つ。
まさに、這うように進むしかなかった。

胸が苦しい。こんなに辛いのは流石に初めてだ。そんな気持ちになる。
神がいるのならば、なぜ僕にこんな試練を与えるのだろうか。
その問いの答えは知ってる。これは、自分が選択した道だ。
誰のせいにすることもできない。
僕は自分の芯を曲げるくらいなら死を選ぶ。
だからこそ、苦しくても前に進む。
僕は弱いから、泣き言は吐く。見苦しい自分をどうすることもできない。
それでも前に進む。

いろいろあって、今日はその苦しみが最高潮に達していた。
この苦しさから逃げるためには死ぬしかない。
逃げられない。

それでも同居人Fに支えられて店に立って、
なんとか店をオープンさせた。
米を炊いて、シチューの仕込みをはじめた。

するとしばらくして、常連のGくんが来店して、シチューを注文してくれた。
Gくんはまだ20代前半の、めちゃめちゃ頭もいいしハートもある若者だ。
僕はシチューをかき混ぜながら、Gくんにも支えてもらった。

「だ…大地よ 海よ そして生きているすべての みんな……
このオラに ほんのちょっとずつだけ 元気をわけてくれ…!!!」

ドラゴンボールの、悟空のセリフが頭に浮かんだ。
最近これが、何度も頭に浮かぶ。
まさに僕は、満身創痍の悟空と自分を重ね合わせている。
みんなが分けてくれるほんのちょっとずつの元気で、なんとか生きている。
みんなありがとう。

お客さんの笑顔に支えられ、仲間の想いに触れて感動し、
この自分というちっぽけな存在が、なにか逆らい難いエネルギーの奔流のようなものに後押しされながら、向かう先がある。

たどり着く場所はわかってる。
そこに向かう道が、とてつもなく険しい。
「険しい」と口で言うのはとても簡単なことだ。
実際には、筆舌に尽くしがたい様々なイベントがあり、傷つきながらも予定通りの航路を、なんとか沈没せずに進んでいる。

さっきまでは、この記事を書く気力も残ってなかった。

いろんな事実が、僕が向かっている方向が正しいと示してくれている。
その示された事実を信じられるという想いと、それを否定しようとする現在のリアルな苦しみが、心の中で葛藤する。

そうだ。僕はこうして成長しているに違いない。
頭ではわかってる。
ただ、ここまで辛いものだとは思わなかった。

どうしてこんなに辛いのかというと、
目指しているものの高みのためだ。

まずは食という世界から、人の主体性を肯定するコミュニティを実現する。
好きなことをやって生きることに対する夢を失わせてはいけない。
夢がなければ人類に未来はない。
僕は極論で物事を考える。
僕は極論で物事の本質を見極める。

……この、極論で考えるという言葉をくれたのは、これまた20代のMちゃんだ。

この記事を中西さんが共有してくれた。
僕は好きな曲を爆音で聴きながら、みんなの想いに触れて、胸からこみ上げるものを感じた。

苦しいときには、なぜか涙は出ない。
人の熱い想いに触れたとき、感極まって涙が出る。

それは僕のエネルギー源となり、また立ち上がる勇気を分けてくれる。
僕は、人の想いで生きてる。

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