人間は、マシンではないので、感情と論理は切り離すことができません。
なのにどうして、無理をしようとするのですか。
生命としての尊厳は、どこへ行ってしまったのでしょうか。
どうして、無理を他人に押し付けようとするのですか。
樹木があなたに何かを押し付けたことがあるでしょうか。
太陽があなたに何かを押し付けたことがあるでしょうか。
海があなたに何かを押し付けたことがあるでしょうか。
風があなたに何かを押し付けたことがあるでしょうか。
もし、「ある」と答えた人がいるのなら、
それは押し付けではないでしょう。
あなたが、向かい風のために目的地を諦めたとしたら、
それは風のせいではないでしょう。
風はすべての条件と調和して、自然な向きに吹いているだけ。
あなたの行動をやめさせるために吹いていたのではない。
しかしあなたが、向かい風のために、目的地を諦めたのだとしたら、
それは単に、風のせいにしているだけです。
ここで終わってしまったら、「自己責任」が重くあなたにのしかかる。
なので、続きをきちんと書いておきましょう。
風のせいにして目的地を諦めたことについて掘り下げてみれば、
あなたはもともと、その目的地に行きたくなかったことを理解する。
それを風のせいにしたかっただけ。都合がよかった。
風を悪者にすることで、風が不当に嫌われてしまったというだけ。
それが、何かや誰かを嫌う構図です。
あなたは風を通じて、自分を嫌悪しているのだけれども、
それに氣がつこうとしていないだけ。
氣がついていないのではなく、氣がつこうとしていない。
他者のせいにするのは、ラクですからね。
本当に行きたい場所だったとしたら、風のせいになんてしない。
でも、そこであなたは、次なる不安と対峙することになる。
『こうやって自分のせいということに向き合って、
なにもかも否定していったら、
自分がまったく前に進んでいないように感じる。
わたしは、前に進みたいのだ』
前ってどちらですか。
どこでもいいから進めばいいんでしょうか。
自分が進みたい方向に進まなかったらそれは
前進とはいえないのではないでしょうか。
行きたくない方向に行かないことを
勇気を持って、自分に認めてあげること。
そうして始めて、本当に行きたい方向が見えてくる。
景色を眺めもしないで、
どっちに行きたいかなんて決められないですよね。
しかしあなたは
景色を確認する余裕すらない。
そんな余裕を持っている場合じゃないとか
ひどい焦りや、見えない恐怖に駆られている。
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