インターネット検索の利用

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事業や商売とは全く掛け離れたところ興味を持つこと。人とは、あらゆることに疑問を持つ生き物だと思っていますし、その疑問を解き明かす(自分なりに納得のいく答えを導き出す)こと即ち「識る」ことの満足と、新たな知見から現れる疑問をまた探るという繰り返しが楽しいです。「趣味はなんですか?」という質問が苦手でしたが、おそらく僕にとって最大の趣味はこれです。

ある疑問について深堀りを重ねていくと、全く関係がないように見える他の疑問と繋ぐ結節のようなポイントに必ず辿り着きます。思考をメタ化するチャンスです。抽象度の高い疑問が生まれますので、それをさらに掘っていくと、複数の異なる問題の根源が同じであることが多々あります。これが応用の原点となる新しい発見です。この繋がりの発見によって新たなアイデアを生み出すことができるようになります。

このようにして、自分が満足できることや、感動したりワクワクしたりすることについて書いているわけですが、実際に世の中でブログを読んでいる方々の多くは、必ずしも僕と同じポイントでワクワクするわけじゃないんだな、ということがよくわかります。抽象化された話題にはピンときてくれない人が多い(皆無ではない)と感じます。具体化を重ねたポイントで共感を得るということなのですが、具体的な内容であればあるほどに条件が限定されてしまうため、応用できない話になってしまいます。「ふーん、そうだったんだ」で終わってしまうんです。また、具体的な話であれば自分が書くまでもなく、世の中には優れた記事が多くあります。ですから、本サイトのような辺鄙なブログに書いておくことに意味を見出せずにいたわけです。ところが昨今、この考え方が変わりつつあります。導入として具体例から入らないと抽象化した概念の説明が受け入れられないということです。

この話は、特定分野の話題について情報を仕入れる人の行動パターンが深く関わります。世の中のニーズは現代においてますます「面倒な話はいいから、効果のある話」を求めています。即効性のある話は目前の問題を解決してくれますが、自身の問題解決力を向上させることはありません。たとえばJavaのプログラミングで何か壁に突き当たったとき、その壁を超えられるサンプルコードを検索したら問題は解決しますが、プログラマ自身のスキルは向上しているとは言い難いということです。インターネットがある現代において、メディアの質について述べておこうと思います。

「まず調べる」人が多いということについて言及したいと思います。目の前に問題があるとき、それについて思考してから調べることもときには大切です。

「調べる」には2つの異なる意味があることについて述べようと思います。「既知のプロシージャ」「未知のアイディア」の違いについてです。

「なんだかよくわからないけど、こうすればうまくいく」という手っ取り早い解決策を求めることは悪いことではありません。その行為を繰り返していくことによって、ある時点で横に繋がる瞬間を得ることができるならば。そのためには、「自分は理解していない」という自己認識が重要です。これを、既知のプロシージャの検索といいます。

一方で、未知のアイディアについては考え方が全く違います。たとえば「原発問題をどう捉えるか」「プログラムの構成はどうあるべきか」などといった、ソリューションに直接結びつかない疑問については、答えは外部から得ることを求めるのではなく、自分が答えを出すためのヒントとなる具体的な事実を収集する必要があります。ここで注意すべきなのは、インターネット上には、まことしやかに嘘が語られていることや、個人による見解がすべてであるような記述が多いことです。

著名人や権威のある人が口を揃えて「未来はこうあるべきだ」という説得力のある見解を示したとき、「そうなのか、なるほど」と鵜呑みにしてしまう人が跡を絶たない。さらにその意見を自分の意見のように語るのはどうしてでしょうか。商売のためなのか、自尊心のためなのか。よくわかりませんが、意味がない。そうした他人による意見の中から自分の考えと合っている部分について、よりうまい表現が提示されているのならばそれを引用するならば理解できますが、自分の考えがない状態のまま、鵜呑みにしていくことは将来のリスクを抱えます。

これは誤学習や過学習と密接な関係があります。誤学習を避けることが重要な理由は書くまでもないでしょう。過学習は、学習依存とも言える思考停止を招きます。その点において人間はAIと何ら変わりないと言うこともできます。

インターネット検索サイトのAI化により、入力された文字列から検索者が何を求めているのかを的確に予測する性能が向上していく時代です。この予測によって、却って予測外の情報が除外されてしまうということです。この流れが示唆していることは、検索のやり方を工夫しましょう、ということではないと思います。検索を利用すべきポイントを掴み、検索のもつ利便性と不便性をきちんと理解しながら活用しましょうということに結論すると思います。

検索することによってデータ収集もなされていることから、検索エンジンのアルゴリズムは多数派を制御してしまうジレンマも持ちます。では、そうならないためには一体どうしたらいいのか、考えていくのも楽しいです。

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