人それぞれ、独立する理由は色々あると思う。
日本からスタートアップすること
僕は、この日本から世界で活躍する人をたくさん輩出したいと思っている。なぜ日本なのか? 答えは単純で、いま僕が日本に居住しているからだ。それ以外の理由はない。アメリカに住んでいればアメリカ社会の中で同じことをやるだろうし、それがエチオピアでもタンザニアでも同じことだ。
独立する者にとって、いま自分が手にしているものと手にしていないものを区分することは最初のステップとしてたいへん重要だ。なぜなら、これから手にするもののために行動があるからだ。その行動のひとつに、独立するとか法人を立てるという手段があるだけだ。
自分の持っているもの、持っていないものについて考えるとき、より大きな視点で自分を観察することはたいへん価値がある。日本だけでなく世界を見る。世界だけでなく宇宙を見る。どうせやるなら世界一を目指したいという人ならば、いま現在の自分自身が世界的視点に立つ必要がある。それを具体的に示す一例が、どこに住んでいるのか、である。
この日本の東京都という大都市に住んでいるという環境は、いま僕が手にしているもののひとつだ。さらに僕は日本語を流暢に使うことができる。それもグローバルな視点からすれば武器である。英語を流暢に使うことができる。これはグローバルな視点からすれば逆に当たり前のことだ。英語ができることが大切といっているのは、そういうことだ。「英語ができたほうがいいよね」ではなく、英語でコミュニケーションができるということは世界で戦うために必須なのだ。東南アジア諸国を訪れたが、多くの国では知的労働者以外、たとえばタクシーの運転手や飲食店スタッフですら、日本のそれとは比べ物にならないくらい多くの人が日常英会話をこなす。日本で日本語だけ使って生きているということは、東の果ての島国でしか通用しない現地語しか話せないことによって、たとえインターネットで何でも検索できるこの時代においてお文化的未開のリスクを背負っているということを主張したい。
僕に愛国心があるか? という問いについて。我が先祖はこの日本を祖国として国を発展・繁栄・存続させるために命を捧げてきた。そのやり方は様々だが、ひとつ言いたいことは、江戸時代以前において多くの日本人にとって「日本=世界」だったであろうということだ。僕の祖父(父方も母方も)は第二次世界大戦の経験者だが、実際に国を守るしか手段がない状況において責務を果たした。だがもしいま祖父が生きていて話ができるとしたら、彼らはこう言うと思う。「世界が平和だったら日本を守るために戦う必要はなかった」と。
世界平和を目指すことは愛国心の拡大解釈である。日本人が日本を愛しているのと同じように、マレーシア人はマレーシアを愛している。自分の生まれ育った環境に対する愛着は世界共通のものだ。
だからこそ、日本だけの利益を目指すのではなく、世界の利益を目指すのは、自分にとって当然の帰着である。
独立に必要なこと
独立するということは一体どういうことなのだろうか。僕はかねてからずっと、世の中で立ち上がるスタートアップやベンチャー企業を観察してきた。
会社で経験を積んで、独立して会社を立ち上げる。その理由は開発の自由度だったりお金だったり色々あるだろう。しかし元いた会社と競合するものを作るためにわざわざ会社を立ち上げるとこに社会的価値はあるのだろうかと疑問に思ってきた。
独立に必要なことは、独立するための確固たる理由だ。
独立してでも自分がやらなければ成せないこと。
その理由が強ければ強いほどに、成功は約束されている。
他の誰かがやれることは、他の誰かがやればいい。
やりたがる人が多い事業なんて特にそうだ。
会社というものは公共性がある。公共性に欠かせないものは公益性や公平性だ。私利私欲をごまかすためにコーポレート・ガバナンスを編みだすような会社は、今すぐ解散していいとすら思ってる。
チャレンジっていうものには怖い側面がある。それでもやるという強い意志と、方向性がズレてしまったらそれを早く認めて、既得権益を手放して新しく踏み出す勇気が常に求められる。
ジョブズがアップルコンピュータを追い出されたとき彼はどうしたか。数ヶ月は落ち込んで何も手につかなかったと記録されている。しかしその後、彼は自分がもつ価値観を曲げず、また前進した。アップルで築いた人間関係も名声もすべて捨て、新たにNeXTという会社を立ち上げて、彼の信じる理想のコンピューティングデバイスのあり方を追求するために、また1から出直したのだ。
その結果がどうだったかは、多くの人がご存知だろう。
ジョブズが去った後のアップルは先見の明を失い、「過去の実績」をもつ経営陣による経営によって、倒産寸前まで追い込まれたのだ。
一方ジョブズは戦略を変えた。MacintoshもLISAも捨て、NeXTのコンピューターは過去と決別した最新のアーキテクチャを装備した伝説的なマシンとなった。それは一般大衆には知られなかったが、業界を震撼させていた。
ジョブズを追い出したアップルの経営陣は退陣を余儀なくされ、アップルは再びジョブズを求めたのである。
そのとき、アップルに戻る条件としてジョブズが提示したことを皆さんはご存知だろうか。
「年俸1ドル」という条件だ。
ジョブズは言いたかったのだ。金じゃねえと。
金じゃないなら一体何なのか。
この世で誰も成せないことを発想してしまった人間に共通のこと。
「この頭の中にある構想を、現実化したい」
これに尽きるのだ。
これが、独立する理由だ。
ただしそれは、多くの「反対」がなければならない。
どうして反対されなければならないのか。
ちょっと説明するくらいで「それは素晴らしい」と思われるようなアイディアであれば、既存の企業がそれをやるからだ。
株式会社をはじめとする営利企業とは営業利益を追求するために存在する。法的な人格つまり法人格を与えられているが故に、人と同じように存続する権利を有する。つまり言い方を換えれば、「法人の生命を脅かすようなこと」=「営業利益につながらないこと」に踏み込むリスクは冒せないのだ。
しかしもしあなたがどこかの企業に雇用されていたとして、その企業の利益につながるという観点で事業提案をして、それが受理されたとしたら、その会社でやればいいのだ。企業には人も金もある。もしそれができないのだとしたら、あなたのプレゼンテーション能力がないか、その企業の先見性がないか、企業の価値観とあなたの価値観が合わないか、原因を考えてみる必要がある。
もしプレゼンテーション能力やコミュニケーション能力の不足が原因なのだとしたら、独立してやってもそれはうまくいかない。表現力を磨くしか無い。
企業の先見性がないのだとしたら、先見性のある企業に転職すればいい。競合他社でもなんでも適切な企業を見つけて、あなたのアイディアをお土産として面接でプレゼンすればいい。
企業の価値観とあなたの価値観が合わないとしたら、価値観の合う会社を探す手もある。
上記すべてにおいて、共通していることがある。独立しなくていいアイディアというのは、「特定企業の営利目的に叶うことが約束できるアイディア」である。
ところが、社会変革という観点で出現したアイディアというものは、特定企業の営利につながらない可能性がある。それどころか、既存の企業を衰退させてしまう要素があることが少なくない。
たとえば、ホームページを作る技術を必要としない、小学生でも簡単にホームページが作れてしまう事業のアイディアがあったとしよう。それをホームページ作成ソフトの会社でプレゼンしたら一体どうなるか。市場の先見がある企業であれば、今後ホームページ作成ソフトの市場は縮小していくと考えて、もしかしたら事業転換するかもしれない。しかし現在売れているホームページ制作ソフトの売上に対するリスクとなるアイディアを潰そうとする会社があってもおかしくない。
しかし上記の例で法人設立してもそれは結局、スピンオフと呼ばれる部類だ。社内のコーポレーション制度とあまり変わらない。つまり企業としては、独立してやるなら勝手にat your own risk(おまえの責任で)勝手にどうぞと言っている。成功したら買収しようとするかもしれないし、失敗したらノーコメントだろう。これは、技術的進化しかしていないアイディアによって設立された企業がたどるケースだ。たとえ買収されず、倒産しなかったとしても、元いた企業との市場のパイの奪い合いになるだけだ。
商業的な成否の予測で意見が分かれただけのことで、事業提案そのものは相手に理解してもらえている。
そうではなく、もっと社会情勢に即した革新的なアイディアを具現化したいときにこそ、独立は意味をなす。それは、なかなか理解されないものだからだ。
誰にも理解してもらえないようなアイディアを具現化するときに、法人設立という手段がある。
資金確保を自分の責任でやることを条件に、何をするのも自由なのだ。もし融資を受けるのならば、融資条件を満たせば誰にも文句は言われない。
ここにあるアイディアで、暗雲たちこめたこの世界(業界)に一発、脳震盪を起こすような強烈なストレートパンチをお見舞いしたい。
そんな新しいアイディアを世の中で具現化したくてしたくて今にも爆発しそうな人間こそが、アントレプレナーと呼ばれるべきだと僕は思っている。
景気に左右されたり、行政方針に左右されたりする時点でそのアイディアは弱い。
世の中に革新を与えるということは、革新前と革新後で明らかに世の中に違いが起きるということだ。
品川電脳研究所
Shinagawa Electronic Brain Research Institution.
IT企業のあり方を根本から変えて、新しい時代のブレインストーミングを実現する。
知的財産権の保護も要らない。まだ誰にも描けていない夢だから。
業務にITの強みこそ活かすものの、これは新しい生き方を提案する、新しいまちづくりのモデルにもなる革新的なアイディアだ。
現代における働き方の変化の先に何があるのか。
いま、わたしたち現代人が「手にしている」ものはなにか。
それを組み合わせて、どのような仕事のしかたができるのか。
社会にあふれている問題の根源から立ち向かう、本物の実力を試される事業とはなにか。この世界は問題にあふれている。問題解決こそが、人の生きる道だと僕は思う。問題をチャンスと捉えずに避けるようなやり方では革新は生まれない。
大層なマニフェストなんていらない。常に現場と向き合い、誰も見向きをしないようなひとつひとつの難解かつ具体的な問題に対してソリューションを展開していく。その効果を最大化するためには、企業という枠にとらわれていてはだめだ。
企業という枠組みは、使い捨てである。目的が達成されたら解体してしまえばよい。
わたしたちは、目的に即した組織が目的の期間だけ存在していればそれで効果的に世の中がよくなっていくという仕組みにもっと目を向けるべきだと信じているし、それを具現化するために具体的な事業プランが今ここにある。
いまこの事業に携わろうとしている人間はまだ僕を含めて2名しかいない。可能性のある人はもう2〜3名いる。
来る人は拒まず、去る人は追わず。
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