新たなる流れを無視しようとし続けてきた。頑なに拒否し、与えられた選択に対立し、内なる闘争を終えたとき、残ったものは真実だった。
魂と心と頭が葛藤し、力尽き、また立ち上がり、倒れ、それでも這うのをやめず、すべての力と可能性を使い果たすまで、暗闇の中を前に進む。
これが意思のすべてだ。
全てのゴールは到達できそうにない絶望のその先にある。なぜならそのゴールを決めたのは誰でもない、自分だからだ。自己責任の自由を貫け。
自らを律し、全てを試そうとする勇気の先にこそ、価値あるものは待っている。
人生で何度も何度も、それを証明し続けろ。
そして今この瞬間もまた、自らの弱さと向き合う覚悟を決め、自分を諦め、納得の上で、ひとつの決断をした。
自分らしく生きること。
この決断を成すために、全ての人々に力を分け与えてもらっている。
かけがえのないものを失ったことを認めること。
それは、何も失っていないばかりか、いままで理解していなかった、本当に必要としていたものを理解し、それを得るために必要な過程なのだ。
見えなかった道筋がいま明るく照らされ、完成した地図が行き先を示す。この地図は誰に与えられたものでもない、自分と自分を支えてきてくれた全ての人々の血と汗と涙の結晶によるものだ。
その地図を決して無駄にしない。
足元を照らす明かりは、いま一直線に、向かっている方向へと伸びる道を照らしている。
信じてきたことが正しかったことが証明される瞬間だ。
探し続けてきた、大切なものを手に入れたことを知る。
道筋が見えても見えてなくても進むだけだ。ただし、ひとつの産みの苦しみは終わった。またこの明かりが届かなくなるところまで迷いなく進むだけなのだ。そして明かりが見えなくなったらまた迷え。葛藤せよ。そして信念のままに選択をするのだ。
歩みのひとつひとつに、溢れるようなエネルギーを感じる。
覚醒し、既に持っていた能力を自覚し、その能力をいつでもどこでも自在に扱えることを確認しながら、この照らされた道の景色を遊ぶ。
差し伸べられる手には、手を伸ばさない。選ぶのは常に自分なのだ。救済の魅惑に徹底的に抗うことは、実力だけで生きることを決めた人間にとって、どうしても避けられないことなのだ。
新たなものを得るためには、今あるものをすべて使い切る必要があるということだ。
こうした世界は、エゴと決別した、神聖なところにある。
逆流に身を任せるやり方で生きていては、決して理解できない世界だ。
美について思う。
美を知りたくば、自らのすべてを研ぎ澄まし、余分を削ぎ落とし、軽量かつ剛柔を常に備えておかねばならない。
美しいものを美しいと認めるためには、自らの視野を昇華させ、魂の言葉を知る必要がある。
交流について思う。
交流は誰にも属さず、ただ高貴に佇むのみ。選択の自由は与えられている。
慈悲について思う。
圧倒的存在感をもつそれは、不浄を焼き尽くし、丸裸になった人の姿を白日のもとに曝け出し、一切の妥協を許さず、その門をくぐった存在にのみ与えられる。
事象について思う。
同時多発的なこのシステムの接点をつなぐことが、シンクロニシティの正体である。
理解について思う。
掌握そのものである。
ベクトルという幻を超えたところに、新たなる理解がある。
混沌について思う。
身を挺して切磋琢磨せよ。
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