神宮

わたしはあなたに伝えたいことがあり、わたしはわたしに忘れずにいてほしいことがある。


魂の成長が進むに連れて、世界の捉え方がどんどん世間の常識とかけ離れていくことを感じる。

世の中の仕組みを知っていくに連れて、感覚器の捉えるものとそれ以外の総和が実相の飽和として輪郭を露わにしていく過程を感じる。

事象の繋がりを学ぶに連れて、新たに学ぶのではなく既に知っていたことを自覚し思い出す過程を自覚する。


上記の3つの文章は同じことを違う言葉で示しているに過ぎない。

大事なことは全て知っている。

知るとは何かについて知るならば、知るのだ。知ることが創造であることを知れば、苦しみや不可能性はエゴそのものであるし、己の狭さを示すだけであることが判ろう。たいていの場合その恥ずかしさは己の器の小ささを世に曝け出して生きてきたことに身を小さくするものだ。

しかし事実は変えられない。そして認識を変えることは自在だ。

認識とはなにか。認識を生む過程は全て己の中にある。世の中の多くの人が、コントロールできない認識なんてものがあるとかそんな不明瞭で理不尽な信条をなぜ手放さないのか、機序は理解できても動機は理解し難い。みな幸せになることを願っていると口にしながら行動は伴っていない。

他人の幻影を見て自分自身を見つめることを忘れてしまった、魂の抜け殻のような人がたくさん歩いている。

昨日、伊勢神宮で感じた違和感の理由はなんだろうかと探っていたが、おそらく答えはここに遠からじだ。

魂の弱り切ったカオナシみたいな人たちがたくさん、天照大御神の御利益に群がろうとして行列を成していた。汚れた欲望と不誠実さにまみれた多くの抜け殻のような人たちの瞳は輝いておらず、暗黒の灯火で漆黒の深淵のような黒い穴が2つあるだけ。行列をなすそのような抜け殻たちの脇をひっそりと、しかし信念の輝きをまとって歩く少数の者たちの瞳は輝いている。

礼の意味も識らずただ形だけの礼をするこの方々は神様が何処にいるのか知らない(忘れている)。神宮に在るときだけ謙虚なふりをしても透けて観える。


宣言と行動が伴わずに魂から出る叫びを歪める行為をわたしはよしとしない。これを為されることを別の言葉で表すと、裏切り。

一見美しい魂の裏側にある空洞を観るたびにまた導くものと導かれるものの関係性に想いを馳せる。

わたしを導くものはもうこの地上にない。

わたしとは何か。色即是空。空即是色。

わたしはあなたに問いかけているのだ。