Encounter/Separation

31歳のときに「出会いと別れが少ないほうではなかったと思う」と書いた。このような言葉を記すということは、このような自己認識があるからで、果たして事実を認識しているのか、認識が事実を作っているのか。

事実と認識の関係性は奥深く探ると興味深い。仮説と検証を繰り返していくことで、はっきりとした輪郭が浮かび上がってくる。事実と認識は、どちらが先に立つでもなく、時間軸の流れで観察すると、同時に発生する。事実と認識の関係性を保持する情報は別の次元にあり、相互作用を無視することもできない。


認識と事実のどちらが先かという話は保留しよう。あれから17年、今でも出会いと別れの多い人生だ。ところで、「出会いと別れが多い」という表現は冗長だ。出会いがあれば必ず別れがある。最終的には必ず死が人と人を分かつ。出会いや別れというものは実際に相互認識の有無を示しているに過ぎず、すべての人間関係は距離感で表現することができる。単純に、距離のある人とは会話をする機会が得にくいだけで、たとえば映画館で同じ映画を同じスクリーンで見た人全員は、その短い時間だけでも何かを共有していると捉えれば、距離感というものは人と人が相互的に名前を知っているか知らないかとか、言葉で会話をしたことがあるかないかとか、常識的な範疇で決めつけることはできない。


会社の若手のひとり、Hくんが今月、会社を辞めることになる。退職理由は解雇。アルバイトだから簡単にそういうことになる。アルバイトじゃなくても解雇されても仕方のないことをしてしまった。僕は彼について長い時間をかけて考えた。いまも考えている。何かできることはなかったか。今後同じようなことが起きないように僕自身が変わる必要のあることはないか。辞める前の彼に何か伝えるべきことはないか。

一連の逡巡をしたところで、結局伝えられることは既に伝えているし、伝わらないものを無理に伝えることもできないと結論付けた。

Hくんの事件によって起きた波は、すべての残された人に及ぶ。Japanチームの皆さん、本社、組織体制、ビジョン、運営、恐怖、変化。

正直、Hくんが今後の人生で成功してほしいとは微塵も思わない。同じように、失敗してほしいとも微塵も思わない。何かを「成す」つまり「成功する」という観点は、当人だけのものであるし、認識の問題でもあるから、それは世界中の誰もが自分だけの責任において勝手にやればいいことなのだ。僕がフォーカスしているところは人生の成功・失敗ではなく、いのちといのちのかかわりあいがどれだけ崇高で有り難く(得難く)、奇跡であるかということ。Hくんの未来において、人の情感や優しさをもっと感じられる人生を歩んでいただけたらいいな、そのためにはまず、Hくんが自分自身を認めるところから始まる長い旅。それを想像しても涙は出ない。誰もが通る道だ。悲しみの涙は要らない。涙を流すのは、そこにある幸せを認識できて、感極まったときだけでいい。


多くの人と関わりを持つと、さまざまな思い入れや計算が感じ取れる。僕の中でいろんな雑談がガヤガヤと聴こえてくる。誰かと1対1で食事をする。相手はさまざまな思いを言葉にして吐き出す。信頼と不信頼。とっても信頼してくれていると感じる部分と、まだ信頼してもらえていない部分が手に取るようによく見える。当然ながら、僕はそこについて何もコメントしない。ただ、不信頼の理由やそこに至る道程を知るために観察するだけ。多角的に、全方位的に、相手を見る。


述べていることが真実であることを何度も何度も主張されるケース。うん、嘘じゃないことはわかってるから、そんなに何度も主張しなくてもいいんだけど。そこまで思って、あ、そうだった。嘘を見ることをやめてしまっている人間が多いんだよな。だから信じてもらえてない経験がたくさんあるんだろうなって。

嘘は、口から出る虚と書く。「虚(きょ・うろ)」は「空」とも書き換えられる。からっぽということだ。実が伴わないということだ。

言葉を発した人が、その言葉に実が伴わせ得るかどうかは、嘘を見抜く大事な要素ではあると思う。嘘を見抜くキーではないんだけれど、検証に使える。


波長が合わなくなってしまった相手とは潔く別れる。僕は常々、「人との関係性を大切に生きている」と公言しているし、実際その通りなのだが、それではなぜ、簡単に別れを許容するのか。

別れを許容する方法には大きく2つのベクトルがある。ひとつはその相手との接触を拒否すること。もうひとつは、流れを受け入れること。

波長が合わない相手を抱え込むということはエゴである。執着は現在という切り口でしか語れないものにしがみつくことだ。未来の可能性を信じていれば、執着に対する視野もだいぶ拡がるのだ。

新しいものを得るのは、常に旧いものを捨てた後。

利己的な「得る」のためであれば、捨てても得られない。調和した「得る」のためであれば、捨てれば得られ、さらに視野が拡がり、新たなる事実をたくさん認識できるようになっていく。