にゃーちゃんと叶えた願い

コロナ対策で在宅勤務になってから、いろいろゆったりとしてる。

今日は、ささやかだけど僕にとってはとても大事な願いが叶った話をしよう。


数年前のある日。当時はまだ欧州系の通信機器メーカーで働いていた。離婚して、マンションを売却して、品川区に引っ越して、にゃーちゃんと出会って間もない頃だ。

(そうだ。あれってまだ、4〜5年前なんだ。なんだかもう10年以上前のように感じる)

当時僕はソリューション・アーキテクトとして同時に3つほどの仕事をしてた。朝8時頃には家を出て会社に向かい、帰宅するのは22時とか23時がザラだった。そしてそんな生活を当たり前のように生きていた僕は、他人に「忙しいんだね」と言われてもピンとこなかったことを思い出して、いまさら苦笑いである。

にゃーちゃんが来て、僕はむしょうに、自宅で働きたくなった。会社に行くことが合理的ではないことは20代半ばに知的労働をするようになってからずっと思っていたけれど、当時はまだそんなことを口にすれば怠け者扱いされる世界だった。

毎朝玄関まで見送りに来てくれたにゃーちゃんは、僕がいつも出かけてしまうのが不満そうだった。そして夜遅く帰宅すると、寂しくて仕方がなかったとでも言いたげに、ゴロゴロいいながらじゃれてくるのだ。

にゃーちゃんを拾ったときから、ずっとあった葛藤。

にゃーちゃんから奪った野良生活。にゃーちゃんは雨風や暑さ寒さをしのぐ環境を手に入れた。飢えることも、縄張り争いで怪我をすることもなくなり、車に轢かれることもなくなった。

そのかわり、自由を失った。

自由とはなにか、について僕はいつもいつも考えていたから、にゃーちゃんの自由を奪った事実について重い責任を感じつつ、せめてにゃーちゃんが寂しくないように、できるだけ長い時間、自宅にいられる生活に憧れるようになった。

(離婚前も犬や猫を飼っていたが、自宅には元妻がいたし、なにしろ犬も猫もいっぱいいたので、寂しがらせることはなかったはずだ)

ある日僕はいつものように会社に行こうと玄関で靴を履いていると、にゃーちゃんが不満の声をあげた。僕は思わずにゃーちゃんを抱き上げて、つぶやいた。

「にゃーちゃんごめんね。にゃーちゃんとずっと一緒にいながら仕事ができたらいいのになあ。うん、そうなると信じることにしよう。にゃーちゃん、そうしよう」

それから意識したわけでもなく、その願いは記憶のどこかの引き出しに入った。

そしていま思うのだ。

あのとき、にゃーちゃんに言ったことが、現実になってるんだなあって。

当時はどうやったらそんなことが可能になるのか想像もつかなかったし、どうやって現実にしようかって頭をひねることもなかった。

でも、叶う願いって、だいたいこうなのだ。

強く願ったり毎日そのことばかり考えていると、いろいろブレてしまう。毎日そのことばかり考えるのはもう、行動せずにいられないタイミングなのだ。

でもそのほうが遠回りだったりすることが多いのだ。人間が意識的に頭脳を働かせるなんて、所詮そんなものなのだ。

今日もまた、自宅でパソコンを開いてカチャカチャやってると、にゃーちゃんがキーボードの上に乗ってきて邪魔をする。

幸せだなあ。

おまけ:野良猫時代のにゃーちゃん。