ワーキング・ホームレスの記憶と、生きること

この記事は約6分で読めます。

昨日の昼間は、洗濯と洗い物をしてスッキリし、自分の会社のことも含めて平日にやりたくてもできなかったことをこなし、深夜までいろんな作業をしていました。

深夜になって、ちょっと煮詰まりすぎちゃって、気分転換したくなった。エネルギーがあふれようとしてその出先がなくて困っちゃう感じ。

もう23時近くだったかな。近所を散歩してコンビニまで来てみたけど、とくに買いたいものがあるわけでもないし。

こんなとき愛車のエリーゼが手元にあったら、間違いなく僕は片道300kmくらいのドライブをする。そうか、バイクもあるけどちょっと寒いなあ。でもこのまま家に居てもなんだか駄目だ。

そう思って、しっかり防寒してバイクで深夜のツーリングをすることにしました。

太平洋沿いに一般道をひたすら神奈川方面に向かうことを思いついたけど、今日のエネルギーの具合だときっと名古屋あたりまで行っちゃうなあと思って、さすがに明日(日曜日)はやりたいことがまだあるし、もう少し近いところに目的地を作らないとあかんなあと。

それでMさんに連絡したら、OKをもらったので夜中にMさんと散歩でもするかと思ってバイクで移動。


冬の深夜の散歩。

いろんな話をしながら歩いていたら、ずいぶん昔のことをいろいろ思い出した。

若い頃のこと、いろいろありすぎて順序とかよく覚えてないんだけど、ともかく僕はたしか当時20代になったばかりくらいで、仕事はしてたけど、家がなかった。

家がないから正規雇用してもらえなくて、非正規雇用だったけど、仕事はあった。

家がないとき、人はどうするのか。

今はネットカフェがあるもんなあ。当時そんなものがあったら使ってた。

インターネットもない時代。情報も限られていた。

僕は当時、仕事をなくしたら死ぬと感じてた。

冬の寒い住宅街をただ歩いた。目的地はない。目的は、朝を無事に迎えることだけ。凍死してはいけない。怪しい行動をして通報されて警察に迷惑をかけてもいけない。明日の仕事の体力を得るため、少しでもいいから眠る必要がある。これらの条件を満たして、どうにか夜を乗り越えなければならない。仕事に差し支えがない程度に、体も服もきれいにしておかなければならない。家がないのは仕方がないとして、ここで折れてしまったら、引き返せないポイントがあるのは感じていた。公園などの屋外に、ホームレスと呼ばれる人がいるのは知ってた。でも僕が当時いた地域にはホームレスなんていなかったし、もしいたとしてもそこに混ぜてもらうつもりもない。さて、どうしようか。

毎日、そんな感じだった。

ワーキング・ホームレス。

毎日がサバイバルゲーム。

夜中の通りを歩いていると、時おり、人とすれ違う。
遅くまで仕事をしてタクシーで帰ってきたサラリーマン風の人。
犬の散歩をする人。
酔っぱらい。
学生っぽい人。

ああ、この人たちには帰る目的地があるんだろうな。

あったかい部屋。暖房なんてなくてもいい。屋根と壁があって、風をさえぎってくれる場所。座ったり横になったりしてても誰にも咎められない場所。

暗い住宅街に立ち並ぶ一戸建て住宅、マンション、アパート、会社の寮っぽい建物、シャッターの閉まったお店。

どうやったら、こういうところに住めるようになるんだろう。

まったく手がかりがなかった。武器が足りなかった。僕には安定した職業も、保証人をお願いできる人もいなかった。いてもお願いしなかったと思うけど。

お風呂の換気扇から漂ってくる、シャンプーや石鹸の香り。

もう少し早い時間だと、台所の換気扇から漂ってくる、あたたかくておいしそうな料理の香り。

寝静まった住宅地をただひたすら歩く。仮眠する場所を探して。

二度と同じ場所で仮眠はしないと決めていた。

だって嫌でしょ、近所の人からしたら。毎晩、知らない男が外でうずくまってるなんて。

だから毎晩、寝る場所を探した。

夏もきつかったけど、冬はかなり厳しかった。

真冬の夜中に、帰る場所もなく、明日どうなるかもわからずに歩き続けることがどれだけ辛いことか、やってみないとわからないと思いますが、本当に辛いです。絶望しないためにできることはなんでもします。

お金に余裕があるわけじゃないけど、「もう我慢できない!」というタイミングで、コンビニで肉まんやコーンポタージュスープの缶を買います。

あったかいんですけど、3分も持たないんですよ。

コンポタ、手に持ったり服の中に入れて温まるか、それとも今すぐ飲んじゃうか、どちらのほうがより効果的に体を温められるか、いろいろやりました。

熱々のうちにすぐ胃袋に入れてしまったほうがいいです。

ホッカイロは、極限では値段のわりに効果がないです。たくさんあるなら別ですけど、一箇所だけ暖かくても、逆に暖かさを頼りにしてしまって、よけい寒く感じるんですよ。短い時間ならいいんですけど、朝って遠いです。始発が動き出したら電車に乗って温まるという手がありますが、始発までの時間は永遠のように長いです。

しかも、温めるという目的しか満たせないホッカイロを買う余裕もなかったし。コンポタなら体の内側から温まる上に、自分の体がエネルギーを生成するので、体温が上がるんですよね。空腹を満たしてエネルギーが発生するって、こういうことなんだなあと思いました。


昨晩は、こんな過去を思い出しながら、ちらほらと話して、歩いてたんです。

でね、気づいたんですよ。

あれ? 若い頃欲しいと思ったものって、手に入ってるじゃんって。

しかも欲求について忘れた頃に、手に入るんですよ。だから、手に入ってることに気付くのは、ちょっと経ってからなんです。

東京の夜も歩いたことあります。

こんな家賃や土地代高そうなところ、どうやってみんな住んでるんだろうって。一度住んでみたいなあ、経験として。(祖父母が都内に住んでてお世話になったこともあるけど、自分で家賃なり土地代なり払って住んでみたい)

当時はまったくその方法がわからないんですよ。

ふと思ったくらいのものなので、そんなこと考えたことすらすぐに忘れるんですよね。

でもそれって実現しちゃってるわけです。

そこで思ったんですよね。

普通に大学出て就職活動して今の僕くらいの生活水準を得ることと、僕のように自らレールを飛び出してその生活水準を得ることって、求められるものが違うよなあって。

しかも僕は勝手にレールを飛び出して自分の責任で選んだ結果、苦労してるだけですけど、選んでないのに人生ハードモードな人もいるわけじゃないですか。まあ、選んだにしろ選ばされたにしろ、状況と目標地点が同じなら、やらなきゃいけないことはだいたい同じなんですけどね。

「伸びしろ」って言葉が、ふと頭に浮かびました。

あー、昔の自分、めっちゃ頑張ってたんや。頑張り続けてきたんや。

んで、いつまで頑張ってたんや?

時系列を頭の中でたどっていく。

あれ? 今も僕、頑張ってるやん。あれー、マジか。

しかもさ、いっちょまえに家まであって、雨風凌げて、猫にごはんあげる余裕まであって、仕事もしっかりやってて、贅沢する余裕まである。

当時の自分にがっかりされたくないって思いもきちんとあるから、今も走り続けてるよ! って、当時の若い自分ともし話すことができるのなら、自信もってそれは言える。

命かけて頑張ってた若い頃の自分が未来の自分を見て、だらしなくなっちゃってたら、たぶんあのギリギリの状況の中で、生きるガッツなくして、生き抜くことできなかったよ。

だから僕は今も、生きることに手を抜かない。それが幸せそのものだから。

コメント