新しいものが降りてきた。
三位一体?
- 感性の存在。感じるものを感じたままに説明しようとする脳。
- 論理性の存在。感じたままの説明を意識上の情報と照らし合わせて説明しようとする論理的な脳。
- 公平性の存在。上記いずれの脳に対しても反論しようとする脳。
この三者が、徹底的にやりあう。その結果が、イマジネーションとか、新しい発見。
「自分を疑うことがよろしくない」というのは、感性で受け取ったものを疑うべきではないということ。たとえそれが支離滅裂で非論理的であっても、感性というものは理屈ではないので。
「自分を疑うべき」というのは、短絡的な論理的解釈によって元のメッセージを矮小化してしまう過程に注意しましょうということ。一度では理解できないものが多いので、時間を置いて再解釈するのはとても効果的です。つまり自分の「独自解釈」を徹底的に疑うことにおいて、誰でもない自分自身が第一人者であり続けるべきだということです。
公平性の獲得は、肯定意識だけでは成り立ちません。NOと言えない人(人に流されやすい人)は、内なる公平性の存在を蔑ろにしていると言い換えることが可能です。
「降りてくる」について
おそらく誰もが持っている、降りてくるものの激流。
問題はその激流から意味のあるものを取り出せる(感じられる)かどうかの、感受性のもちかたが、人によってそれぞれだということ。
例示
感受性の存在:
アンコールワット
心筋梗塞
ブログ記録なし
論理性の存在:
アンコールワット
心筋梗塞
公平性の存在:
納得に至ったとき、ブログを書かないようだ。
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