【再チャレンジ:日本語版】
先ほど書いた相対性の話を、貴重なリクエストにお答えして、僕にできる範囲でわかりやすく書いてみます。
元記事:
はじめに:双極性障害とは
双極性障害という精神疾患を知ってますか?
昔は「躁(そう)うつ病」と呼ばれていました。
これは、感情に関わる病気と言われています。
気分の上がり下がりが極端であり、ある期間は下がりっぱなし、ある期間は上がりっぱなし。
下がっている期間は「うつ状態」と呼ばれ、まさに、うつ病のような症状が出てきます。ネガティブ思考になります。
上がってる期間は「躁状態」と呼ばれ、ポジティブ思考になります。
なんだ、そんなこと誰にでもあるだろう、当たり前だろうと思うかもしれませんが、その上下が激しすぎて、社会生活に適合できないレベルになるばかりか、自死の危険すらあります。
下がりすぎると具合が良くないのは、多くの皆さんが想像しやすいかなと思います。世の中に対して否定的になったり、他人を信用できなくなったり、何もかも他人のせいや自分のせいにして他人や自分を徹底的に責めてしまったり。活動レベルが低下して、思考も止まるし、体も動かさなくなります。
では、上がりすぎるとどのような問題があるのでしょうか。
リスクを無視して行動してしまいます。よくあるケースとしては、何かをやることをやめられなくなって依存症のような行動を繰り返してしまったり、明るさや活発さを通り越して、誰にも止められなくなったり怒りっぽくなったりします。
「躁状態」から「うつ状態」に切り替わることを「鬱転」、その逆を「躁転」と呼ぶこともあります。
この躁状態とうつ状態の切り替わりは、ロボットのようにスイッチが切り替わるように変わるわけではありません。添付した正弦波の図のように、波として上がったり下がったりするわけです。
双極性障害は、この波を繰り返すほどに、波の間隔が狭くなってくる傾向があることが報告されています。つまり、気分が上がったり下がったりする間隔が短くなってくるのです。これを専門用語で「Rapid cycling」、日本語で書くとラピッドサイクル、急速サイクルです。この状態になった人を「ラピッドサイクラー」と呼んだりもします。
ところでこの波の大きさ(上下の波の高さ低さ)を、AさんとBさんで単純に比較することはできません。それはなぜか、そしてどうすれば比較できるか。その辺りはまだ、現代精神医療の世界では解決に至っていない問題ですが、経験者として自分自身の体験とその研究によって立てた仮説をこれから説明します。
その1:波はひとつではない
僕が自ら体験したことをよく観察して分析してみてわかったことは、双極性障害において影響を与える波は、前項で書いたようにひとつではないということです。
現時点でみなさんに説明したいのは、数ある波の中でも重要なのは、2つの波です。
この2つの波が、双極性の症状と深く関係しています。それは、
①ポジティブの波
②ネガティヴの波
です。
多くの人は気分の上がり下がりを語る上で、ひとつの波を想像されると思います。波が上がれば元気がある、波が下がれば元気がなくなる、と言った感じですね。
しかし実際にはそうではないことを僕は発見しました。
ポジティブの波が上がるとポジティブ思考になります。
ネガティヴの波が上がるとネガティヴ思考になります。
これに気づいたきっかけは、あまり重く捉えないでいただきたいのですが、僕の自殺未遂体験です。
仮に波がひとつだとすると、僕が自殺を実行しようとしたことの説明がつかないのです。
なぜなら、仮に波がひとつだとしたら、うつ状態、つまりネガティヴ状態に陥っているときには、何もできないからです。外に出ることはおろか、食事もしたくない、何もしたくない、呼吸すら煩わしい、そんな自分を見ているのもつらい。
そんな状態で、自殺するための準備や実行はできません。
波が二つあり、それぞれが別々の周期で上下しているとイメージしてみてください。
ネガティヴ(うつ状態)のレベルがピークに達している時、たまたまポジティブ(躁状態)のレベルが十分に高い状態になると、人は死を選択します。
この2つの波とは、一体なんだろうかと考えました。
そして僕が現時点で最も正解に近いと確信している答えは、脳科学的に説明すると、右脳と左脳のケンカだということでした。
つまり、ポジティブの波、ネガティヴの波と呼んだ波は、それぞれが、感性の波(右脳の波)、理性の波(左脳の波)と捉えてみると、何もかもがしっくりくるぞ、という事です。
- 感性も理性も落ちている状態。この状態になると、考えることも行動することも感じることもできなくなります。自律神経による生命維持活動だけしている、植物人間に近い状態になります。他人からは、「死人のようだ」と見えます。
- 感性が落ちて理性が高まっている時、行動もできないし他人の優しさも感じ取れないし、ただただ考えるだけ。理性だけによる思考なので、他人と自分を比較して自分のダメなところを繰り返し責めたり、何度考えても変えられない過去の事実を脳内で繰り返したりします。他人からは、「うつ」に見えます。
- 理性が落ちて感性が高まっている時、理性によるブレーキが効かない状態で、周囲から見ると突拍子もない行動に出ます。芸術家に近い状態とも言えます。しかし何のブレーキもなくなると、社会に適合できません。
- 理性も感性も高まっている時、高い感性と高い理性が調和して、能力を発揮できます。
ただし、理性と感性の高さのバランスが取れていないと、ずっこけます。
理性は、自分が持つ大切な要素である「体力」や、忍耐力の源泉となる「目的意識」や、それを形作るための「人生経験」を統合して感性と通信します。
これがうまく噛み合わないと、なかなか前に進みません。つまり、経験に基づいて学びを得て、そこから得た等身大の夢や目標があり、それに見合った理性と感性の高まりを支えるわけです。
理性が高すぎると、他人との比較が強すぎたり、現実を直視しすぎたり、問題が現れます。
感性が高すぎれば、高すぎる目標をうまく統合できずに、理想に潰されて自壊してしまったりします。低すぎることだけでなく、高すぎるのも問題があるということです。
それらが揃うと、着実に動き出すことができます。
つまり理性と感性が中庸になることが大切であるということになります。
ここでは、理性と感性についてこれ以上踏み込んだ説明は省きます。他にもバクテリアやウイルスとの関係やミトコンドリアの話など、面白い話がたくさんあるのですが、長くなりすぎるのでまた別の機会に。
ここでは、理性の波と感性の波が別々に存在することを意識していただければと思います。
その2:波の原点の位置はひとりひとり違う
認識論的な話になるのですが、先ほど書いた波について、正弦波のグラフをもう一度ご覧になってみてください。このグラフには原点があります。横一直線に引いてある線がそれです。
この原点は、実は固定されていなくて、人によって置いてある場所が違います。
簡単にイメージを説明すると、わたしやあなたの波のグラフを紙に印刷したとしましょう。
そのグラフを壁に画鋲で貼り付けます。
僕の波の原点は床から1メートルのところにあって、あなたの原点は床から30センチかもしれないし、2メートルかもしれないということです。
そしてその壁には、何か書いてあります。
↑ポジティブ
↓ネガティヴ
下の方に紙を貼り付けた人は、グラフの波が下降した時、かなり落ちます。そして波が高くなっても、さほど幸福感を得られません。
壁の上の方に紙を貼り付けた人は、波が高い時にはより多くの幸福感に満たされ、波が下がっている時も、高い時と比較すれば相対的に幸福レベルは下がっていますが、紙を下の方に貼り付けた人の最高の状態よりも高い幸福感を得ています。
紙の位置が高い人は、ポジティブな人に見えます。
ここでいう壁は、それぞれの紙との相対関係を持っています。ここで紙にとって壁は絶対的なものであります。
その3:波の大きさは合同ではなく相似
さて、壁の例えを続けます。
あなたは壁から自分の波が印刷されている紙を剥がし、壁から1メートル離れたところでそれを壁に向けてかざします。
つまり奥行き、数学的にいうとz座標をずらした形になります。
その状態で、壁に貼ってある他人の波と、自分が手に持っている波を比べてみたら、どう見えますか?
近くにあるあなたの波はとても大きく上下しているように見えて、遠くにある他人の波は小さく上下しているように見えます。
この状態を説明する言葉は、感受性、内観、主観です。
わたしたちの脳は錯覚しまくるので、手前にある紙と壁に貼ってある紙が、同じ平面上(つまり壁の表面)にあると錯覚します。
その4:波はより小さな波で構成されている
ここで壁の例えは終わりにして、今度は波をよく観察してみましょう。
波を形作る曲線から適当な部分を選び、虫眼鏡で拡大してみましょう。
すると、今までただの曲線だと思っていたものが、実は細かい波で作られていることがわかります。小さすぎて見えなかっただけでした。
さらにその小さな波の一部を顕微鏡で拡大してみると、その小さな波も、さらに小さな波で構成されていることがわかります。これをフラクタル構造といいます。マンデルブロー集合は、フラクタルの一種です。
その5:波はより大きな波の一部である
さて今度は、紙に印刷してある波を、紙からはみ出して左右にどう広がっているのか確認してみます。
あなたの波が描かれた紙を、大きな紙に貼り付けます。大きさは、縦横10キロメートルの、広大な紙です。
そして、その真ん中に貼り付けた紙に描かれた波の続きを描いていきます。
すると、その紙に描かれた波が、より大きな波を構成する曲線のように上下に波打っているのがわかります。
その6:感受性と波の大きさ
感受性の話をします。これはまた深い世界なのですが、多くの方が勘違いしてしまっているところを一つだけ指摘します。それは、先ほどの波を構成する細かい波を認識していくことが、内観を深めていくことであるということと、より大きな波を把握していくことが、世の中に目を向けるということと繋がるということです。外観とでも名づけておきましょう。
内観は、自分1人で掘り下げていく精神世界の探索です。外観は、世の中にあるものから学びを得ていくことです。
入れ子のように無限に重なり合う、波が波を構成している構造は、まるで鏡合わせのようでもあります。この奥行きを把握していくことが、感性を高めるということにつながります。
実際の例をひとつ書いておきます。
私たちの住む地球は、太陽のまわりを公転しています。太陽が固定されたものだと仮定すると、その公転軌道は、円になりますね。
よく見かける、太陽系の図にあるやつです。
太陽のまわりを水星、金星、地球、火星、……と、同心円上に回っているイメージです。
ところで地球は自転しています。地球上で日本の位置は、やはり円形に回ってます。
北緯36度あたりで、北極と南極を繋いだ軸を中心に、グルグルと回ってます。地球を固定してみれば、円形に回り続けています。
それでは、日本の位置を、「太陽のまわりを回る地球」観点で見たらどうでしょう。
日本の位置は、地球の周りをグルグルと回りながら、地球そのものが、太陽のまわりをグルグルと回っています。
その軌道を正確に描くと、波の形状になります。
立体的にみると、らせん状になります。
らせん状に軌道を描きながら、地球の公転軌道という大きな円を描いているのです。
さらに進めます。
太陽は固定されているでしょうか?
いいえ、固定されていません。
太陽は、その周りを回る惑星など全てを引き連れて、わたしたちの住むこの「天の川銀河」の周りを、信じられないほどの高速で回ってます。しかし銀河系は大きすぎるので、銀河の大きさからみると、ゆっくり回っているように見えるだけで、実際には、地球は太陽のまわりを秒速29.8kmという超高速で回り、太陽は天の川銀河の周りを秒速230kmという途方もない速度で周回しています。
さて、今度は天の川銀河の中心を固定して太陽系を見てみましょう。
地球の軌道は、太陽の周りをどう回っているように見えるでしょうか?
円ではないですね。
太陽そのものが移動しているので、地球が太陽の周りを一周している間に、太陽系全体が移動しています。ですので地球がたどった軌跡は、らせん状。らせんは、一方向から見ると(横から見ると)、波に見えます。つまり三次元的ならせん構造は、側面から二次元に投影すると波になり、正面から二次元に投影すると円になります。
これは、皆さん聞いたことがあるかもしれない「光には粒子の性質と波の性質がある」と関連していますが、それはまた別の話。
ここまできて、波が波を構成している、フラクタルのイメージが湧いてきたでしょうか。
さらに、天の川銀河は、直径が5億光年もある、ラニアケア超銀河団に所属しています。
ラニアケア超銀河団には、10万の銀河が含まれており、その全てがラニアケア超銀河団の周りを、さらに高速に周回しています。
ラニアケア超銀河団を回る天の川銀河の軌道、太陽系の軌道、地球の軌道をイメージしてみてください。
らせんの入れ子構造の意味が、わかってくると思います。図解したり動画を作ったりできればわかりやすいのですが、ここでは文字で伝えていきます。
その7:精神科で出される薬の効果
さて、わたしたちの意識を宇宙の壮大な旅から地球に戻しましょう。
ここでは精神科の薬の話をします。
精神科で出される薬にはさまざまなカテゴリーがありますご、基本的にすべて、治療効果を上げるものではありません。
感覚を麻痺させて、日々の辛さや症状を遠ざけてくれるだけです。
先ほどまでの説明をもとにいうと、波の大きさを抑えるということになります。
なので、薬が切れたらまたもとに戻るだけです。
しかも、ただもとに戻るだけではないんですね。
冒頭に書いたラピッドサイクルの話は、ここに深く関係します。
抑制されるべきでないものを抑制すると、その反動は必ずあります。エネルギー保存の法則と同じです。孤立系のエネルギーの総量は変化しないのです。ですから、蓄積すればするほど、そのエネルギーを抑えておくことが難しくなっていくのです。
また、感性というものは都合よく選択的に抑えることはできません。
例えば怒りを抑えるために薬を飲めば、喜び、悲しみ、幸福感、食べ物の美味しさ、美しいものを感じ取る力、全て均等に抑えられてしまいます。
その8:マルチバース
先ほど宇宙の話をしましたが、ここまで読んでいただいてその先に興味があるのであれば、マルチバース理論について調べてみてください。その内容は、わたしたちの精神世界の比喩として読むことができます。内観と外観です。
その9:波とは何か
僕は波に好奇心を持っています。なぜか昔から惹かれてしまうのです。海を眺めていても、波の本質について思いを馳せてしまいます。そこから得られるものは無限大だなと思うのです。
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