「いざというとき会社は助けてくれない」
この台詞は、僕の幼馴染から聞いた。そう、その通りだ。
そして、いまの僕は「助けてくれない会社」から飛び出して、誰も助けてくれない前提の世界にいる。
でも思うのは、誰も助けてくれる人がいないはずの世界で、助けてくれようとする意思がある人たちがいる。
つまり会社員だろうと個人事業主だろうと会社経営者であろうと、助けてくれる人は助けてくれるし、助けてくれない人は助けてくれない。ただここにもうひとつ、重要な立場を加味しないと見えてこないものがある。それは、実際に助けるスキルがあるかないかだ。
人が他者を助ける条件には、次のようなものがある。
- まず、助けたいと思うほど、相手に対して情があるかないか。
- 次に、助けるために必要なものを持っているか持っていないか。
- 助けるために必要なものを持っていない場合、それを手に入れるためにどのようなコスト(努力コスト・金銭コスト・時間コスト・情熱コスト)がかかるか。
- 助けるために必要なものを持っている場合、それを提供するためにどのようなコストがかかるか。
コスト感覚と愛情の天秤なのだ。
すべては金次第、という割り切った人もいる。金で解決タイプ。この手の人はわかりやすい対価を提示してくれるけれど、いざその人が助けを必要としているときにもこちらとしては金をもらわないと助ける気になれない。
金なんてカンケーないという熱い人もいる。情熱タイプ。このタイプの人に対しては、いざ当人が助けを要した際にはかなり優先度高めで助けてあげたくなるし、助けてくれたことについて恩返しするタイミングをいつも探すことになる。(ただし、やりすぎると互いに不幸になるから、ペイバックよりもペイフォワードして情報共有したほうがいい場合も多々ある)
問題は、助けるためひ必要なものを持っていない場合である。
金で解決タイプの人は、まずこの場合何もしてくれない。守備範囲外。これはとてもわかりやすいからこちらとしては納得だが、明確な線引きを提供された以上は、そこを踏み越えることは相手に対してマナー違反だと思うので、それ以上踏み込んだ関係性にはなり得ない。
情熱タイプの人は、なんとかしようと考える。でも必要なものが無いわけだから、なにもできない。
このパターンになると、とたんに色々なことが相手の行動によって見えてくる。
やりたいのにできない、これは、
「いざというとき、助けてくれない」ではなく
「いざというとき、助けることができない」である。
助けたいと思うほどの相手が困っているときに、助けられない自分をみて、どう感じるか。
「自分の守備範囲外だから仕方ないよね」なのか、あるいは
「悔しい」なのか。
ここの差、とても大きいです。
助けてもらう側っていうのは、助けてくれようとしている人のその心配りだけでも嬉しいと思う。でも実際に助けようとして何もできない人って、足手まといになるわけですが、そんなことを助けてくれようとしている人に言ったら面倒なことになるから大抵の場合は言わないです。とくに金が介在していない場合は相手が情熱だけで(要は自己満足のために)手助けしようとしてくれている場合は言えません。情熱だけでなく愛情があるケースか、あるいは情熱は1ミリも持ち合わせていなくても、金払って契約しているなら言えます。
この、助けようとして何もできない人。
いや別にいいのよ、他人は。
僕のケースね。僕が誰かを助けたくて助けられないときって、どうなのかなって振り返ってみたわけ。そうしないと他人批判で終わっちゃうからね。
僕の場合、困ってる人を助けようとするのは当然と思ってます。助けることができないなら、相手の足手まといにならない程度について非常にシビアに注意します。助けることができるなら今度は、中途半端に足を突っ込んで終わらないようにキッチリ助けることと、やりすぎないことを非常にシビアに注意します。
それは弥次郎兵衛みたいに、バランスの突き詰め方です。
全力奉仕というものはとてもバランスが難しいのです。なぜなら金銭やモノの対価が当人と合意できている場合においては、前述のように助けられる側もきちんと思ったことが言えるわけですから、「足りない」「やりすぎ」をきちんと助けてくれる人に対して言えるわけですよ。
同じようにして、気心が知れた相手を助けるときも、きちんとそのへん言い合える。
問題は、変な遠慮のカタマリみたいなものが介在する関係性のときですね。現代日本文化あるあるです。言いたいこと言えずに我慢して、裏で面倒な感情抱かれたり、別のところで理不尽な爆発するタイプの人が多すぎますから。
そういう人たちのことは一般的に何と呼ぶか。「裏切り者」ですよ。英語だと traitor です。
「えっなんで、こっちは相手のこと気遣って行動したのに、裏切り者扱いされなきゃいけないワケ??」って思う人がたくさん出てきます。あ、これ、同じ感覚同士だったらこういうことは当然起きません。
裏切り者のレッテルは「約束したことをしない」とか「約束した金を払わない」以外のケースでも貼られるんですよ。
結局何が言いたいのかというと、
「誰も助けてくれない」のではなく
「助けることができる条件が狭い人だらけ」なのが今の日本社会。
- スキルを深掘りしないから、仕事が遅いまま
- 仕事が好きじゃないから、仕事が遅いまま
- 仕事が遅いから、時間に余裕がなくなる
- 余裕がなくなると、カネにもならないことを真剣にやれなくなる
- カネなんて関係ない、これが自分の本当にやりたいことを見つけたとき、スキルが足りない
- スキルが足りずに、やりたいことができない
- 挑戦してこなかったからそこで止まる
こういうパターンの人たちの多いこと。
打破するためにはどうするかって、そりゃもう努力するしかないでしょう。
主体的にやれって話ですよ。
どうしたら目の前のことを好きと思えるかって、
修行して出直してこいって話ですよ。
「日本人は勤勉」なんて言葉、いまだに信じてます?
日本人は自分で考えるべきことも考えようとしない、怠惰な民族ってレッテル貼られてますよ。
とっくの昔に。
「助けることができなかった」ということをバネに
悔しいと思って、次に同じような状況があったときに、
助けられる自分でいたい。そう思えるかどうか。
どうしたら、そう思える自分になれるのか。
まだまだ書き足りないけど、これくらいにしておきましょうか。
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