両親とも働いてたし、父親は帰りが遅かったし、自分が社会人になってからも何かと仕事に追われることを当たり前のように生きてきたし、何も疑問に思わないでやってきたけど、よくよく考えてみるとこういう生き方ってすごく不自由さがあるというか、息苦しさがあるというか。なんか、追い立てられてる感が半端ないよなーって思うんですよね。
ヨーロッパのどこどこじゃシエスタがあるだとか、夏季休暇が長いだとか、アジアのどっかの国では昼飯に2時間はかけるだとか、残業は絶対にしないだとか、パラパラと入ってくるそんな情報を、どっか違う世界の話だから……と右から左へ流してしまっていたのは誰でもない、この僕でした。
サザエさんでほら、あるじゃない。波平さんとマスオさんがたまたま最寄り駅でばったり会っちゃったりして、駅前の焼き鳥屋で一杯やってから帰るみたいなの。
小学生のときにもあったんだよなあ。そういう時間。
学校が終わってから夕飯までの時間っていま考えてみりゃ何時間も無かったと思うんだけど、毎日その限られた時間でめちゃくちゃ遊びまくってた気がするよ。そんで、夕方のチャイムが鳴るなりカラスが鳴くなり日が暮れるなりしたらみんな門限守って帰っていくわけだ。門限守れなかったらカミナリが落ちる。
なんかそういうの、失って、久しい。
先日、小学校高学年の姪とちょっと話す機会があったんだけどさ、もうほんと、月曜から日曜まで塾と習い事でギッシリなわけ。唯一塾のない木曜日は習い事。
しかも、だ。最近の塾にはタイムカードがあるらしい。しかもICカードになってて、チェックイン・チェックアウトすると親のケータイに通知が飛ぶんだって。
・・・子供にとって大切な時間、どこいっちゃったんだろ?
ほんと、おかしいよね???おかしくね???
芝生に寝っ転がって夕焼けの雲をボーっと見ながら、空って何なんだろうとか考えたり、少しずつ暗くなって青空が朱に染まってそれが群青色の夜空に変化していって、だんだん近所から夕飯の匂いがしてきて、あーやばい早く帰らないと怒られちゃうなぁなんていうちょっと焦るようなソワソワするような感覚と、暗闇の持つ独特の魅力に惹きつけられる気持ちが入り交じるあの感覚わかる?あんなの感じる時間とか、現代の子供にあるんだろうか?
友達と自転車で遠出しちゃったあと、どんどん暗くなって足元が見えなくなっていくなか、必死にペダルを漕いだあの気持ち。自分の住む街に帰り着いたときの安心感。
そんでもって家に帰ると一発目に「手洗いなさい!!」って怒鳴られるわけ。
めんどくせえなあーなんて思いながら適当に手を洗って、テレビつけたらロボットアニメやってて兄弟でチャンネル争いして。
そうこうしてるうちに夜が来る。
そういう子供時代は、あった。
さてオトナになって久しいけれど、オトナ(とくにサラリーマン)にとって夕刻が失われて久しく、夕刻の優雅な使い方のレファレンスがどこにもなかったりする中で、自分なりにいろいろ考えたり発見したりしながら、今まで生きてきた。
たまに17時頃の町並みを観察してると、定時に上がる連中はいまも一定数いる。
その証拠に電車は混むし、道路も混む。
それで自宅まで30分以内とかだったりしたら、公園とかスーパーとか、ときにはデパートとか喫茶店とか寄り道できちゃうね。
夕方の散歩とか、好きなんだよなあ。自転車もいい。
そうやって夕方の楽しみ方を深めていくと、世の中にはそんな夕方を楽しむために出版されているような本もたくさんあるし(出版した人が実際に夕方を楽しめているかどうかはわからないけどね) 、実際に夕方を楽しんでいるっぽい人々もたくさんいる。
これが、以前住んでいた首都圏郊外(ぶっちゃけ船橋市)だと、あんまりいないんだよなあ。夕方に暇そうにしてんのは、学生ばっかり。夕方は、せかせかしてる。
都心に越してきて良いことも悪いこともたくさんあったけど、夕方を楽しめるっていう点はとても高く評価してる。楽しめる道や街や店や施設が結構あるし、楽しんでる人が多い。
そのぶん、モーレツに夕刻を忘れまくって働いてる人も多いんだろうけどね・・・。
ダラダラと書いちゃってまとまりがないけど、まあなんとなくそんな感じ。
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