天の秤。
目先のことをすべて、天の秤にかける。
今頼まれた仕事は、誰の役に立つのか。
その秤には、己はない方がいい。
エゴは判断力を鈍らせる。
お金になるから仕事をするのではない。
それを理解できるようになるまで、人はさまざまな経験を積み重ねる。
目先で失敗したと思っていても、長い目で見たら成功だったこと。
目先でうまくいったと思っていても、時間が経ってから後悔すること。
その全ての基準は、自分にはない。
この世に自分しかいなかったら、そんなことで悩む必要もない。
同時に、他者の自分に対する行動も同じことが言える。
誰かがあなたに理不尽に思えることをしたり、引っかかることを言われた時。
それは、その相手のエゴから発している言葉かもしれない。
それを聞き入れることは不調和を呼ぶ。
しかしそれが己の未熟さにあるものであれば、素直に聞き入れるものだ。
天の秤、天秤。
それはわたしたち人間の手に委ねられていない。神による判断だと言い換えてもいいだろう。
相手の心の奥深くを見抜くことができると、天の秤が生きるための指標になってくれることがわかる。
それに従うことを、天性という。
転生の能力とは、天秤によって定められた己の使命に従う素直さのことだ。
使命に従えないとき、人はさまざまな言い訳を思いつく。過去を書き換えたり、未来を偏らせたりもする。そして現在の己を見失うのだ。それを避けたければ、素直であることは必須であり、自然であり、摂理である。
成長とともに、なるべく人に迷惑のかからない仕事ができるようになる。さらに成長すると、人のためになる仕事ができるようになる。
そうなったとき、選択肢は増えており、その全てはあなたのものだ。
せっかく最高のやり方が思いついているのに、そうではない方法を選ぶ理由があるか?
僕は、ないと答える。
あると答える人がたくさんいる。
その人たちは、口を揃えて言うのだ。
カネは大事であると。
そして僕は思う。
この人たちは、お金の本質をわかっていないと。
笑う門には福来る。
わたしは妥協したくないことについて、妥協しない。
そもそも、それをプロフェッショナルと呼ぶのではなかったか。
妥協して済むならば、プロフェッショナリズムなど不要なはずではないか。
妥協できないのではない。
妥協したくないのだ。
そういうことを増やしていくのは、突き詰めることと同じなのだ。
そして限界まで突き詰めた時に自然にとっている行動を、客観的に観察するのだ。
わたしは、妥協したくない。
妥協すると、お金はたくさん入ってくるが、そうして得たお金は総じて醜い。
わかりやすく言い換えてみる。
己が今この瞬間、必要としているお金。それを決定付けているのは自分だと思い込んでいませんかね。
お金は社会という、多数の人間が作り出す緻密で膨大なネットワークを流れ、循環する単位の『ひとつ』だ。
わたしは自分の現在の能力を超えたお金を得ることを恐れていた。
お金の問題がなくなったらどうなるか、若い頃自分で試してみた。
たくさん稼いだ。
そして結論が出た。
僕はぐうたらなので、お金に困らなくなると、刃が鈍るのだ。
適度にお金がない時の方が、頭が回るし行動力もある。
そして同時に僕は、ぐうたらして自分が充実しないことが、とても嫌なのだ。
ギリギリの状況というものは、人の能力を最大限に発揮させる。
だから僕は、安定を目指したい本能に挑み続けて、自分を切っ先に置いている。
選択肢が二つあれば、困難な方を選びたがる。
そして結果、それは輝く個性の軌跡となる。
他の人が取らない選択肢を取り続けた人は、価値を得る。
他にはなかなかない経験を積むからだ。
その価値はお金に替えることも当然できるし、他のことに替えることもできる。
自由を手に入れていく過程の話をしている。
他人に従うことで自分をすり減らしていると感じている方は、自分が手に入れたい価値が何であるのか、己の声をよく聞くと良い。
神の秤、天秤を使うのだ。
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