4月17日。快晴。
今日はキューブカフェをまみさんに任せ、祖母へお別れをしに行く日。
ここまでいろいろあった。本音、涙。これは喜ばしいことだ。
新調したワイシャツとネクタイを身に着け、前日に予約した花を近所の花屋さんで受け取り、いざ出発。
電車に揺られながら、いろんなことを思い出したり、想ったりした。
ラッシュアワーは過ぎてたのにもかかわらず、電車はけっこう混んでた。
祖母とずっと共に暮らしていた叔父とは数年前に、あるきっかけで疎遠になってた。
いろんなことがあった。でも僕は、決して悪気だけは無いから、いつかわかりあえたらいいなと思いつつも、そんな機会がもう無いかもしれないって覚悟もしてた。
言い訳だけはしたくない。
僕がどういう思いで行動したにせよ、僕の行動は僕の責任で、その行動の結果を叔父がどう思うかは、叔父の自由である。
そう思って、覚悟をしていた。
でも我が妹は「人と人をつなぐ」ことにかけて天賦の才能がある。そして行動力がある。
妹は祖母を亡くして動揺していたし、ちょっとしたことで涙するような状態であったのにもかかわらず、僕が祖母と最後のお別れをするチャンスを作ってくれた。
そして叔父も僕にそのチャンスを作ってくれた。
決して僕ひとりでは叶わなかったことなのだ。
嬉しいことに弟も来てくれた。
きょうだい3人揃って、プラス、叔父の長女である僕らの従妹夫婦も一緒に、祖母を見送ることができた。
98歳といえば、同年代はもうとっくにみんな亡くなっている年齢だ。
そして今回のお別れの会は身内だけでしめやかに行われると聞いていたが、祖母の友人、親しかった親類、お琴のお弟子さんたちが集い、10数名で祖母を見送ることができた。
皆、心から祖母を愛してきた人たちだった。
祖母の偉大さをまた思い知った。
僕は時代が時代なら家督責任をもつ立場だが、ほとんど何も役に立ってない。でも参加できたことが有意義だった。
何がきっかけかわからないけど、不意に涙が出た。なにか特定の思い出に浸ってたわけでもなかったけれど、涙が出た。叔父も妹も弟も従妹も泣いていた。やっぱりみんな、祖母のことが大好きだった。
祖母が焼かれている小一時間、親類でいろんな話をした。
お坊さんも、いい話をしてくれた。
ある商人が、孫ができたお祝いに、何かめでたい言葉を書いて欲しいと、一休さんに頼みました。
引き受けた一休さんの書いた言葉は、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」という言葉でした。めでたい言葉を頼んだ商人は、怒って、「死ぬとはどういうことだ」と一休さんに文句を言います。すると一休さんは「では、あなたは、孫死ぬ、子死ぬ、親死ぬの方がいいのですか」と聞き返したそうです。ますます怒った商人に、一休さんは続けて「親が死に、子が死に、孫が死ぬ。これほどめでたいことがあろうか、これが逆になったらどうする」と。
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お別れの会が終わり、駐車場で解散間際、
ふと、口下手な叔父が僕の肩に手をかけて、
「また、遊びに来てな」
と、ひとことだけ声をかけてくれて、僕はそこで、堪えきれず、声を出して泣いてしまった。
その光景は、妹も、弟も、従妹も見てた。
妹は「お兄ちゃん、泣くところ違うって」って言いながら一緒に涙してた。
弟は僕を最寄りの駅まで送ってくれる車中で「ほんと、よかったね」って言ってくれた。
「また、遊びに来てな」
その一言だけで、すべてが伝わってきた。
やっぱり僕はみんなのことが大好きだ。
いろいろな思いが心の中を駆け巡った。
叔父はとても厳しいけど、誰よりも優しい心の持ち主だ。
僕は若い頃、叔父さんがお父さんだったらよかったのにって思いかけたことがあったくらいで、でもそれは決して口にしなかった。
なぜなら、僕はどんなにひどい父でも、実の父がいて、たとえ身内にすら理解されない父でも、やっぱり父は父なのだ。
長男の僕がそんなブレたことを口にしたら、妹や弟にどう影響するか、わからない。
若い僕は、そんなことを思っていたことを思い出した。
しかしながら僕は不器用ながらも叔父のことが大好きで、
大好きであることを、今日、
「また、遊びに来てな」の一言をかけられただけで
いままで詰まってた思いがあふれるように涙が出て
再確認したのだった。
遠くに住んでいても、
何年かに一度しか会えなくても、
僕の中で叔父はずっと偉大だった。
祖母も偉大だったし、
あんな父でも僕はしっかり尊敬しているところがたくさんあるし、
なにより今日、きょうだい3人が祖母のもとに集まることができたのは、
いちばん近くで僕たちをしっかりと育ててくれた、母のおかげとしか、言いようがない。
僕は祖母に「恩返しより恩送りをしなさい」と口にして言われたことはないが、
そんなことは当然であると、口にしなくても理解しあっていた。
なぜなら祖母が過去を語るとき僕は、
僕の親類、ご先祖さまたちが、
世のため人のために命を燃やしてきた志を聞いてきたからである。
それは物心ついたばかりの、祖母と一緒に暮らしていた頃から始まっていた。
幼稚園に入る前から始まっていた。
祖母はそんな頃から僕に、人として生きる上でたいせつなことを
彼女にしかできない方法で、僕に伝えてくれていたことは、
祖母と僕の間にしかなかった、ふたりだけの、言葉にしなくてもわかる、心の会話だった。
人生のいろいろなタイミングで祖母は僕に手紙をくれた。
祖母の手紙は草書で、最初は読むのに難儀した。そのうち慣れたけど。
祖母の言葉の裏には、いつも同じメッセージがあった。
立派な人になってほしいというメッセージが。
そして祖母は僕のことを信じていた。
最後の最後の瞬間まで。
そしていまはあっちの世界から僕の中身まで丸見えで、
祖母が育てた僕という人間がどれほどのものか、見抜いてくれているに違いない。
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