働くことができるということ

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働くことができること。
仕事が終わって家路につくときに呼吸する夜の空気の匂いとか。
家々にともる灯りだとか。
すれ違う人、家へと急ぐ人。
駅員さん。
こうした様々なことを、とてもゆるりとした気分で感じることができるのは、
自分が健康で、働いていて、幸せだからだ。

幸せとは求めるものじゃない、感じるものだってさ。

ほんとにそうだと思う。

僕はいま、とても幸せだと思っている。
つい1か月前までは、こんな気分なんて想像することもできなかった。
人間の「気分」というものは、どれだけ重大に物事をひんまげて受容させる「レンズ」なのだろうと、感慨すら覚える。
気分ひとつで、世の中にあるすべての事象の受け取り方がまったく変わってしまう。

うつ病になったことのない人に、うつ病ってどんなものか説明することは困難だ。
っていうか無理だ。
それは、辛いものを生まれてから一度も食べたことがない人に、「辛い」とはどういう感覚なのか説明するのと同じことだ。

なるべく多くの人に、この病気が理解されたらいいのにな、という思いとは裏腹に。
完全に理解するには、自分がうつ病になるしかない。

世の中にいる「ちょっと、うつっぽいかも」とか「気分が落ち込む」っていうだけで、うつ病だって主張したり診断されたりしている、擬態うつ病とは、根本的に違う。
絶対的で、到底逆らえない負のエネルギーが体中の血管を流れる。
そんなときには、いまそこにある幸せを感じることなどできない。
慰めなど通用しないし、考え方を変えることなんて不可能だ。

働けること。
健康であること。
この病気をしてから、これらが何事にも代えがたい、壮大な幸福であるということを知ったと思う。

真摯に受け止め、雑念を振り払って力の出せる限りで精一杯働き、遊び、健康でいたい。
それが誠実さというものだと思う。
一生懸命やりすぎるから、うつ病になるんだと言う人もいる。
けれど僕に限って言えばそれは、違う。
一生懸命力を出し切りたいときに、出せないほうがストレスなのだ。
渾身の力をもって人生を走り抜けたい。いつもそんなことばかり考えて生きている。

100メートルを10秒で走れ!と言われると、きついですか?

では、100メートルを10秒で走れるのに、15秒以内で走ってはいけない!必ず15秒~18秒の間で走れ!と言われたらどうですか?

どっちのほうがきついだろう。僕は後者だ。

そして社会はしばしば、そのようなことを人に要求する。

それでも僕は、全力で走れるようになりたいから、そのために努力する。自分を磨く。そして、実際に走る。

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