名称未設定 1 の補足

一部誤解を招く表現があったようなので補足しておく。

【現在の家庭における自分の価値】

わからない。家族から見たらもしかすると「お金を稼いでくる人」以上の価値は何もないのかもしれない。

なぜこう思ったかというと家族にそう思われていると感じているからではなく、仕事をして帰ってきたら家のことを何もできずにいるからだ。やらなければならないことは本当はたくさんある。
家計管理も放置状態だし、犬の世話は妻に任せっきりで、料理も一切しなくなった。掃除もしなければ洗濯もしない。その他いろいろとやれるはずのことがあるのに何もできない。だから家族の枠組みの中で自分は「お金を稼ぐ」以外に何の役にも立っていないということが言いたかった。仕事で手一杯で疲れているだろうからと気遣いをしてもらうのは感謝の気持ちとともに恐縮する。何も言われないことのほうがプレッシャーになることもあるのだ。

ついでに書いておくと、仕事「すら」できなくなったとき、自分は完全に無価値な人間にしか思えない。ただの荷物だ。しかも維持にカネがかかる。そういう思いがあるからこそ、仕事だけはどうしてもがんばらないといけない、これだけはどうしても外せない選択なのだ。仕事すら失ったらいまの自分が生きている価値がいったいどこにあるというのか。人間は人の役に立つことで生きる希望を手に入れるのだ。誰の役にも立たなかったら、生きる理由はただ、「死ぬことで周囲の人に迷惑をかけない」これだけになる。これは生きることに絶望した人間にとっては、弱すぎる理由だ。だから絶望した人は死を選ぶ。そうしないためには、自分の価値を自分で認められる何かが感じられなければならない。存在しなければならないのではなく、感じられなければならない。

こと家族とのアクティビティに関してはコミュニティに依存したいという気持ちと、他人は他人だから我が道を行きたいという気持ちが錯綜している。ところがそんなことは余計なお世話だったのかもしれない。

これは本人だけに分かるようにかなり遠まわしな表現をしたつもりだったのだが、伝わらなかったようだ。これは僕の問題ではなく、僕の家族の問題について言及したつもりだ。
僕の妻が抱えている問題は本人が思っている以上に深刻なのだ。問題はいくつかに分類可能だが、健康面の問題を抜きにしても
コミュニケーションの問題があり、将来への不安につながる。健康面の問題を解決しようとしないことにも不満と心配が入り交じった気持ちになる。健康な人以上に普段の検査に心を配らなければならないのに、無頓着であるからやきもきする。
心配して口を酸っぱくして言ってしまう。様々な提案をするが無碍にされる。いっそ言うのをやめてしまおうかと思ったが、割り切ることができない。「あのとき検査していれば……」なんて後悔する羽目になったら、一生自分を許せないだろうから。
それから妻は買い物以外で一切外に出ない。
人間ひとりきりで生きていくことはできないのだし、心に積もったものがあるのならガス抜きができる(話ができる)相手が必要なこともある。孤独に暮らしていくことは実に大変なことなのだ。だからこそ世界を広げるために力になりたいと思って、まずは出来ることからと思い、自分の趣味に家族を巻き込もうとしてきたし、それ以外にも模索した。既存のコミュニティに参加するように促してみたりした。パートに出てみるのもいいし、何か学びたいことがあるのなら学校に行ったっていいし、スクールに通ったっていい。しかしそんなことを僕から提案したところで自分が納得しなければ行動しない。
結局自分の力ではどうにもならず、自分の考え方を改めるしかないのか?と自問する。ウチはウチで別の価値観を持って幸せに暮らしていけばいいのかもしれないな、と思うこともある。このふたつの思いがいつも心の中で交錯している。

そうなると自分には、お金を稼いでくる以上の価値は何も無い。病気によってそれもできなくなってしまえばただのゴミなのだ。

結局自分は外に出て稼いでくる以上のことは家事もなんにもしていないし、妻の抱える問題をなにひとつ解決してあげられず、自分の抱える心の問題によって妻の心まで蝕んでしまっている。
だから自分自身から見て、いまの自分は金銭的に家庭を支える以上に何も価値が見出せないのだ。
つまりお金すら稼げなくなってしまったら、存在する意味がない。

そういうことが言いたかったのだ。

「気分が落ちて自分のことしか考えられなくなっている人に何をどうこう述べても心には届かないだろう」
悲しい言葉だ。
(家族を含め)人に価値を認められることが最大の生き甲斐である自分にとって、この言葉はあまりにも辛すぎる。
僕は自分のことしか考えられなくなっているのだろうか。そうなのかもしれない。それがこの病なのかも。

こうして誤解(?)を解くための努力ができるのも今のうちかもしれない。薬が効かなくなれば、そんな気力すら無くなってしまうのだから。

Hiro Hayashi

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3 Responses

  1. こんにちは。お久しぶりです。昨年、夏に奥様と3人でお会いしましたね。
    大丈夫ですよ、奥さんは私のところ(日記)に細かくコミュニケーションしに来てくれるし、それってご自分に出来ることはされてるんだなと感じますよ。これは真実の想いです。
    夫であるうずらさんから見たら、自分のことのように心配で行動としては足りなく感じるのかもしれませんが…。

    あがいてあがいて、一瞬見える青空をまた見たくてどうしても生きてしまいますが(苦笑)、小難しいことはあまり考えず、今傍に居るパートナーとこれからもやっていきたいか、その想いだけがシンプルに大切なことのような気がします。
    それではお邪魔しました。

  2. @でぉん
    お久しぶりです。あたたかいコメントをありがとうございます。
    我が家ではこういった形でしか表現できないことがあり、周囲の方々にご心配をおかけしてしまい恐縮です……。
    お互いを思いやる気持ち、大事ですよね。

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