Focus

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3カ月ぶりに用事のない休日を意図的に作った。目覚めてすぐに身体中の疲労に気付く。全身が痺れるような疲労感だが不思議と倦怠感はなく、体の奥深くにあった泥のような疲れが、肌についた塩のように表出している。擦ったら落ちていきそうだ。伸びをするたびに脱皮したような感覚。軽い満足感。疲労というものは知らぬ間に溜まると改めて実感する。と同時に、今後は休息も含めてすべて自己管理であるということを改めて実感した。悪くない気分だ。

用事のない、とは書いたものの夕刻からは目黒経済新聞記者の顔合わせを兼ねた勉強会に参加した。同居人の藤田くんに自転車を借りて洗足まで走る。
途中で雨が振ってきた。また新しい出会い。最近はほぼ毎日、新しい人と出会う。当たり前のように当たり前でない生活をしている。不思議と導かれるように、人と出会う。人が人を呼び、話をして、共感を呼ぶ。つい数か月前までは人に話すことができなかった自分の夢を話すことができるようになっており、それが何の疑問もなく受け入れられていく現状を客観的にみつめ、理解というものの価値は自分で方向性を決めたときに訪れるもので、それはやはりすべて自分の確信と何らかの関連性があるのではないかという仮説の裏付けに見える。
22時からカフェに来る客のために雨の中自転車を飛ばし、圧が上がるまで時間のかかるエスプレッソマシンの電源を入れる。深夜の訪問者たちがまた、新しい出会い。心を洗うと、いいことが続く。

情動によって事を起こすことなく、研ぎ澄まされた死生観によって刃の縁を明確に確認できている。優先順位も明確で、退廃からはほど遠い。夜が訪れ、映画を一本観終わった頃には新聞配達のバイクの音を聞いて猫のいる自室へと上がる。感覚が鋭い。階段のきしむ音の新鮮さに感動を覚える。まるで映画館のようだ。着替えの最中に服が擦れる音。猫のゴロゴロ。窓を開ける音。ライターを擦る音。そして今はMacのキーボードが立てる音を愉しみながら書き連ねている。

今日もまた明日への糧を得た。支える覚悟が支えてくれる人を呼ぶ。いま僕の周囲にはオールを漕いでいる人しかいない。漕がずに文句を垂れている人はひと目見てすぐにわかる。
世の中には心地よいリズムで前に進んでいる人が老若男女問わずたくさんいるのだということを実感し、その大きな渦の中に自分がいることを実感している。

そしてはるか先には、煌く星がある。

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