すべての人に笑顔を。
そのテーマを実現するためには、この世から貧困をなくす必要がある。それは、経済的に一律な配分をするという意味ではない。貧困とは金銭では測れないものなのだ。僕は貧困とは、不自由の象徴であると思う。たとえお金があっても、行動が制約されたり、思想が制約されたり、体験が制約されていたりしたらそれは裕福とはいえない。
ではこの世の中から貧困をなくすためにはどうしたらよいのか。
資源を「平等」に配分することでもない。それは、本当に必要とされているものを、必要としているところに回すことだ。
そのためには多くのステップがギアのように噛み合う必要がある。
戦争をなくし、人々が殺し合うことをやめることも要件であることがわかる。
なんだかよくわからないもののために、不必要なものを必要と思わせて押し付けたりする仕組みもなくそう。
かりそめの平和で満足したつもりになることはできない。
この壮大なテーマに挑むことを決めてから、すべての学びはそのための修練だった。
無駄はひとつもやっていない。心の奥底に幼少時から燃え盛り続けて、一時たりとも消えることのなかったこの思いを、とうとうこうして文章にして自分以外の人に伝えるときがきた。
ずっとずっと、駆け続けてきた。
人に誤解されたり、あきれられたりすることも当然ながら、たくさんあった。
なぜならば、僕が真の目的をずっと胸のうちに秘めて、誰にも話さなくなってしまったからだ。
そうすると他人は、他人の尺度で僕の目標を勝手に思い込み、それに照らし合わせてアドバイスをしてくれたり、いろいろしてくれる。
でも違うんですとは言えなかった。
なぜか?
本気で世界平和のために生きてるなんて、なかなか言えないじゃないか。
幼少の頃に願ったことを実現するためだけに生きてるなんて、人に言ったって笑われるだけじゃないか。
実際、たくさんバカにされたし、夢みたいなこと言うんじゃないと上から目線で説教されたりもした。
頭がおかしいんじゃないかとあきれて離れていく人もいた。
理解したいという人には誠実に話してきたつもりだが、多くの人はほんとうは理解したくないのだということも知った。
理解しようとするのではなく、僕の考えを覆すためのきっかけを探すためだけに話を聞いているフリをしている人が多い。
僕はただ願うだけでは決して満足できない。
僕の想像力のなかには、リアルに生きている人たちが今この瞬間もいる。
世界中の国々で、さまざまな生き方をしている人たちがたくさんいる。
それだけじゃない。ノンフィクションの小説や映画、フィクションだって、実際に似たようなことがあるに違いない。
社会問題を伝えるさまざまな報道、そしてその実際を、真実を見抜きたいという一心で見つめてきた。
なぜならば、現状を知るということが僕にとっては大切な「調査」の段階だったからだ。
僕はただ願うだけで終わるような人生にはしない。
生きているのだから。
行動し続けてきた。これからも、行動し続ける。
この文章を読んで、いろんな意見もあるだろう。
いろんな人がいろんな思いになることは想像しようと思えば容易に想像できる。
だからこそ、こうして文字にして残すことは勇気がいるんだ。
僕は、誰にどう思われようと構わない。
批判したいやつはすればいい。バカにしたいやつはバカにしてればいい。
でも僕は、行動して結果を残す。
そう信じ続けて、ずっとずっと生きてきた。
それこそが、僕のアイデンティティだから。
貧困は、心から生まれる。
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