知識は毒

この文章を、もっと頭を良くしたい人、もっと人生を有効活用したい人、同じ思考がぐるぐる回って困ってる人、効果的に経験と知識を活用したい人、脳をもっと活用したい人へ捧げます。

知識の勘違い

知識というものは、僕に言わせれば「百害あって一利なし」です。
その説明をするためにはまず、知識というものがどういうものなのかを僕の言葉で説明してみましょう。
知識というものは、実際に存在する事象に対して人間の脳がさまざまなフィルタをかけて出した仮説の域を出ません。しかも一面性しか説明していないのです。
言葉をかえれば、知識とは「あなたにとっての真実」です。本に書いてある知識であれば「著者にとっての真実」でしかない。
本来すべての事象は「情報」という名を持ち、エネルギーに等価の存在です。

事実と真実の違い

事実とは、いまそこにある事象や摂理として表面化した「かたち」そのもの。
それをどのような真実として捉えるのかは、百人いれば百通りです。
まずは、「真実はひとつ」という宗教から抜け出しましょう
コナンくんが言っている「真実はひとつ」は「事実はひとつ」を指していると考えてください。

情報を都度処理する

ものごとに対する誤解を避けたい。
人は常に成長しており、過去に答えを出したことがあることについて改めて考えてみると、違う答えが出ることもしばしばです。もし同じ答えしか出ないなら、成長が停止しているサインです。答えというものは常に0か1かではありません。二極化した考え方は「YesかNoか」という極論思考につながります。それを避けるためには、思考対象を細分化して局面ごとにどのような答えを得られるかについて仔細に観察し、対象の観察を精細化させていく必要が生じます。

AはBである、という答えを常に抱え込んでいると、AはBではない可能性や、AはBである場合とない場合があるなど、他の答えを除外してしまいます。ですから、「AはBである」という知識そのものが、記憶に貯め込むことが不要だということです。

それよりも、AとBに出くわしたときに、その都度AとBの関係性について原点から考えることがより効果的です。そんなに考えられないと思っているとしたら大間違いで、そのような複雑な判断処理も、慣れれば一瞬で可能です。それが人間の脳がもつポテンシャルです。

情報とはなにか

情報とは目に見えないものなので、なかなか把握しがたい。
究極的に情報とは、エネルギーの多次元的座標でしかなく、その情報の所在が「所有意識」をもつ脳内ではなぜか、誰かによって所有されうるという幻想のもとにあります。

「この情報を知ってる」「知らない」
これが知識の量と呼ばれているものですが、断言しておきますとこれは、妄想です。

情報というものは常にそこにあり、関連性が皆無であればその情報がいくら脳内に刻み込まれていても(言い方を変えれば、記憶しているように思えても)、情報そのものへのコネクションがなければそれは取り出すことができず、持っていないも同然という説明になります。

つまり知識というものは役に立たないし、情報を脳内に入れておくというのは幻想。

「それじゃどうして、物知りとか無知とか存在するの?」

この疑問こそが、知性への最初の扉となるヒントです。

物知りや無知というものは知性とは全く関連がありません。

それはなぜでしょうか?

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