ものごとには秩序(Order)というものは存在しない。無秩序(Chaos)を俯瞰(Overhead)すればそれは秩序立っており、それがさらに無秩序の海となっている。これを無限(Infinity)という。
無秩序にはまず条件(Condition)を規定(Prescribe)する。規定とは事実(Fact)を事前に説明すること(Pre-describe)であり、これをルール(Rule)という。つまりルールは人の手(Artificial)によって為される(Done)ものではなく、既にある事実(Fact)を説明(Describe)するひとつの手段(Mean)にすぎない。手段は意味(Mean)と同義であり、衝動(Impulse)を司る(Rule)。これが生命(Life)や意識(Awareness)と呼ぶものの正体である。意識とは氣付く(Notice)ことと同義である。氣付くことは考えつく(Think)こととは異なる(Different)。
無秩序から秩序を生み出しているのは錯覚(Illusion)でしかない。秩序は生み出す(Create)ものではなく、見出す(Find)ものである。見出すとは認識する(Recognize)ことと同義(equal)である。
無秩序から秩序を生む(Create)ことは単なる視点(Perspective)でしかない。事実は事実を生むが、事実から生まれる真実(Truth)は錯覚と深く関係がある。わたしたちは事実と真実を見分ける(Distinguish)ことができるはずだが、知識(Knowledge)が自由な(Freedom)発想(Conceptualization)を阻害する(Inhibit)。
存在(Exist)しないことを生み出そうとすることを虚業(Fiction)という。それはエネルギー(Energy)の不均衡(Imbalance)を生む。
わたしたちがやるべきことは発見(Discover)することであり、発明(Invent)はそこから生まれる。他のものからは生まれない。
無秩序を秩序立てるということは、物事を己(Self)の信念(Belief)にまかせて突進(Rush)することよりもむしろその逆で、冷静(Calm)かつ温情(Warm)に無秩序を観察(Observe)し、理解(Understand)へと導く(Lead)旅(Journey)を受け入れる(Accept)ことに他ならない。
己の都合がよい(Convenient)形で秩序立てようとする原因(Cause)は、エゴ(Ego)や執着(Obsession)である。これを利己主義(Egoism)や利己的(Selfish)と呼ぶ。
これは誰も幸せ(Happy)にならない。なぜならばエネルギー保存(Conservation)の法則(Law)を無視している。無秩序から秩序を見出すことなく利己主義による人為的なルールの捏造(Fake)は、その代償(Indemnification)として必ず支払う(Pay)べき代価(Price)があり、その状態(Status)を維持する(Sustain)ことは苦しむ(Sustain)と同義である。
むしろ無秩序にある無限の概念(Theory)を理解しさえすれば、上記のような状態に自らを陥れる(Ensnare)ことによるストレス(Stress)から解放(Release)され、いつでも必要なもの(Essential)が必要なとき(Timely)に手に入る(Get)。
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