富士登頂 2021

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山や海は、日々の生活で溜まった雑念をリセットしてくれる。

自分の足が足元の砂利や土を踏みしめる音と、呼吸音。それ以外は無音の世界。
ただ黙々と、次に掴む岩や足を置く場所を見極め、背中に載った荷物を含めた自分の体重を上にあげるバランスを決めて、一歩分だけ高度を上げる。

ただそれだけの作業を、何千回も繰り返す。

頭を使わなければ、背後に広がる景色に落ちていくリスクが高まるだけ。

富士山は難易度が低いと言われているし、確かにその通りだ。山の初心者でも挫けない心と十分な体力があれば、特別な知識もなく登ることが出来る。特に今回選んだ吉田ルートは、難所と言えるような場所はひとつもなかった。

しかしそれでも、一歩踏み外せば確実に死ぬ場所が8合目から上にはたくさんある。

グループのしんがりで、皆が安全に登っているかどうか、意識はしっかりしているかどうか、疲労が溜まったり高山病になったりしていないか注意深く観察しながら、ゆっくりと登る。

檜澤さんは先頭で、高度と心拍数とコースを確認しながらペースメーカーをしてくれた。

空気が薄くなってくると皆、話をする余裕は消えてなくなる。

静寂の中突然、遠くから低く唸るような音が聞こえる。数秒後には、体のバランスを崩しかねない突風が吹き抜けていく。

8合5勺で、みぞれがチラチラと降り始めた。気温は0度。気圧は700hPaを切っている。2回深呼吸すると、体に必要な酸素が行き届くのがわかる。僕の心臓は必要な酸素を得るために要求する呼吸量を勘違いしてるのは事前に知っていたので、無意識に呼吸しているだけだと間違いなく酸欠になる。意識的に呼吸を深く取りながら登る。

深夜の暗闇で9合目を目指す。ヘッドライトが山の岩肌を限定的に照らす。掴もうとしている岩が浮石やグラついた岩でないことを確認しながら掴み、一歩前に進む。

体のすぐ横にはライトでも見えない漆黒の闇が広がり、反対側には火山岩の岩肌。人がひとり通れる幅しかない登山道をただ岩と戯れながら、時折立ち止まって酸素を取り入れ、振り返ると富士吉田はもちろんのこと、おそらく静岡であろう街の明かりもはっきりと見える。空気が澄んでいるためか、明かりのひとつひとつまではっきりと見える絶景だ。

ここには食べ物も水もない。動物もいない。高山植物と限られた昆虫以外は何もいない。

それでも人は登ることをやめない。

美しい、と感じた。

胸が感動的な何かに包まれて暖かくなる。

僕の心臓は音を上げるどころか、頂上までたった一度たりとも苦しさを伝えてきたり、心拍数を上げすぎたりすることはなかった。

頂上は極寒の零度のうえに、霧で視界はなく、身体が浮きそうな暴風が吹き荒れていた。

持ってきた防寒具を全て身につけても、震えが止まらない。汗に濡れたシャツが確実に体温を奪ってくる。使い捨て懐炉を皆に配り、肌着の上にふたつ貼り付けるが、全く効果を感じられない。

日の出まで1時間弱、硬く閉ざされた山小屋の隅に皆で体を寄せ合って寒さに耐えた。

5時13分、日の出の時刻になっても太陽は姿を見せず、ただ広がる白い世界が見えてきただけ。

ご来光は諦めて、富士山火口を確認しに向かう。

そこは嵐のような風が吹き荒ぶ、真っ白な中にお鉢の岩場だけが微かに見える世界だった。剣ヶ峰を目指すのは危険すぎると判断して、下山コースへ。

高度を下げるごとに楽になっていく呼吸。頂上を覆っているであろう雲から抜け出し、眼下に雲海が広がる。

軽石の砂利に覆われた下り坂を滑らないように注意しながら進む。しばらく進むと折り返し。

変化のないつづら折りを何十回も折り返しながら高度を下げていくと、雲海の向こう、地平線のあたりにオレンジ色の朝焼けが広がった。

9月10日の午前11時に5合目を出発し、9月11日の午前11時に帰還。まるまる24時間、歩くか休憩するか、ただそれだけ。

富士は僕を呼んで何を知らせたかったのか。それは僕の心の中にある。間違いなく僕は呼ばれ、迎え入れられ、知らされ、降りてきた。

まさに霊峰富士だ。何故このタイミングだったのか、何故このメンバーだったのか。何故白雲荘に泊まったのか。何故あの気候だったのか。全てがパズルのピースのように嵌り合う。

それから僕の心臓は、弱ってなどいないことを証明できた。心臓が弱っている人間には、富士登頂は出来ないだろう。先ほども書いたように、僕の心像は音をあげるどころか、常に安定しており苦しさをのかけらも見せなかった。

富士に先駆けて、神津島の天井山、伏見稲荷大社の稲荷山をクリアしてきた。さらに日々の散歩でもたまに長距離にチャレンジし、1日3万歩は余裕でこなせるようになっていた。

これらの事前の活動を通じて、僕は自分の身体と会話をし続けてきた。心臓は弱っているのではなく、特性が変わっただけだ。いまの僕にはもしかしたら、マラソン、トライアスロン、トレイルランニングのように、心拍数の限界まで上げて闘うようなスポーツは出来ないかもしれない。しかし低い心拍数を保ちながらじっくりと進めていく今回の登山のようなチャレンジは、十分に出来ることを証明することができた。

入院時に失った体力も取り戻したうえに、更なる強い肉体を作ることができたと思う。

そして何よりも磨きがかかったのは、精神力だ。

富士登山中に一度も「つらい」と感じなかった。楽しくて楽しくて、ワクワクして、喜びしかなかった。ニコニコしながら登っていた。一歩一歩が、充実感と幸せで溢れていた。

頂上についたときには、これでおしまいなのかと少し寂しく感じてしまったほどだ。

心筋梗塞をしたことをはじめ、命を危険に晒した数々の過去のイベントに人の意識は向かいがちだ。しかし本当に精神力が試されるもののはイベント自体にはなく、その狭間に限りなく広がる日々の暮らしの中にある。

若い頃は自分の弱さに悔し涙を呑むようなことがたくさんあった。今でもそんなことは毎日のようにある。しかしそれは僕が弱いからではなく、更なる高みを常に目指しているからだ。ギリギリを攻めているからこそ、辛いことや苦しいことがある。それは登山と同じだ。低い山を何度も制覇するよりも、次はもっと高い山を登頂したい。

かつて欲しがっていた、心の強さ。手の届かないところにあるように見えた、本物の強さ。

それは知らぬ間に、自分のものになっていたのだ。

願ったものは必ず手に入る。心から願っているものならば。

そうであるならば、試されるのは何か。それは努力でも我慢でもない。それらは勝手についてくるものだ。わたしたちが生きていく日々の中で本当に試されているものは、自分を信じる力なのだ。

どんなに脅されても、不安を感じされるような情報があっても、自分で考えて、自分で結論を導く。そうすることでしか、本当の願いは見えてこない。山の霧を晴れさせて、自分の向かう道をはっきりと認識するためには、自分を信じるしか道はない。

そして自分を信じる力を鍛える道には終わりがない。更なる高みが常にあるのだ。それは、到達したもの同士でしか共有できない。経験のない者に話しても決して理解できない世界。

本来、自分の強さを試すことは、とても楽しいことだ。それが辛いと感じるのならば、行き先を間違えている可能性が高い。

辛さを気合いで乗り越えてクリアする者は、喜びと期待に満ちてクリアする者には決して勝てない。

都会に帰ってきて、様々なモノに溢れる世界と、どんよりとした意識が漂う重さを感じ取った。

本当の強さは、満たされた世界にしか起きえない。

そして満たされるとは何か。都会はモノに溢れているが、そこに依存してしまえば、決して満たされない世界だ。田舎も然り。

都会も田舎も同じ世界にある。どっちがいいとか悪いとかではなく、個人的に言えば、どんな世界でも動じることなく、強かに生きていく力を備えていくこと。

ボーイスカウトのモットーは「そなえよつねに」だった。通っていた高校のモットーは「自調自考」だった。僕がこうした経験をしてきたこともなんら偶然ではなく、自分が追い求めた者に世界が順応したのだ。

強さを手に入れよう。無限の可能性を感じられるから。

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