Facebookでとある投稿を読んで、僕がいまキューブカフェでやっていることの説明をもうひとつする時期がきたと思い、書いています。
そのためにはまず、ADHDやASなどと自分が今までどのように関係してきたのかを知っていただくのがよいかと思いましたので、一連の記事をご紹介します。
まずは2013年、「うつ病」→「双極性障害」と診断が代わり、加えて発達障害、AS(アスペルガー症候群)、ADHDの疑いが医師に示されたときの記事です。
次に、双極性障害とイオンチャネルの関係性について独自研究した内容と、エビリファイという薬剤についてです。当時、精神に作用する薬漬けでした。薬に対する疑念と自分に対する疑念が葛藤する苦しい時期でした。
次に紹介するのは、品川で「とかいなか食堂」を継続することをやめたときに、一緒に活動していた皆さんへ送ったメッセージです。この時点では既に自分はADHDでもASでも発達障害でも双極性障害でもなく、ただの個性をもった人間であるという自覚がありました。当時どうして鬱になりかけたのかもわかります。他のみなさんと価値観がまったく合わず、同調圧力や陰口や否定といった精神的プレッシャーに反応しただけのことです。相手はそんなことが僕に伝わってきているとは思ってもいません。他人の意識の輪郭が読めるとか嘘がわかってしまうといった特殊さを持っていることは、このような苦しみももたらしますが、乗り越えなければ生きていくことができません。
「普通」についての投稿です。自分のとっての「普通」はあっても、万人共通の「普通」など存在しないという話です。
ADHDは結局、「普通」や「常識」にとらわれて多様性を認められなくなってしまった大人たちから見たレッテルにすぎません。むしろ「普通」「常識」に従って己を騙して生きてしまった彼らこそが、本当は救いの必要な人たちです。彼らは、自分らしさを捨ててしまったのです。
次に紹介するのは、「ADHDが病気ではない」という前提に立ってなお、「それじゃどうやってこの苦しみの世界を生きていったらいいのよ?」という疑問への答えとなります。ADHDに対する間違った認識を改めさせる目的もある投稿です。
改めて書いておきます。ADHDなど存在しません。
人はそれぞれ個性があります。
たとえば社会生活に不都合が生じるようなレベルで「社会適合できない」子どもがいるとしたら、そこで必要なことは「従いなさい」「いい子になりなさい」という命令ではなく、「なぜそれが重要であるのか」についてきちんと相手に伝わるように、対等目線で伝えられる、忍耐力のある大人です。
わたしたちはそのような忍耐力のある大人に育てられてきましたし、そうでない大人もいました。わたしたちは、相手の老若男女を問わず、命令できる権限をもっていません。そのような当然の人権を踏みにじる大人がどれだけいることか。そうした違反を子どもたちも真似し、言い訳するようになった結果をわたしたちは見ているだけです。
金八先生みたいな教師、ブラック・ジャックのような医師が、減っているのです。
精神的成熟をしないまま身体だけ大人になって、大人のふりをしている大人もどきが、肉体的年齢を問わず大勢いるということです。でもこれは、程度の差こそあるかもしれませんが、現代にはじまったことではないという点にも留意しましょう。
わたしたちはどのようなレッテルを貼られようと、どのような非難を受けようとも、自分が信じている正義のもとに生きていくのです。それが人間の精神性であり、健全性を維持するために必要なことです。
キューブカフェ荒川で何をしようとしているのか、薄々感づいてくださっている方も増えているのではないでしょうか。あの場所には、差別はありません。差別に反対するというアクションすら排除しています。必要のないものは、存在しないのですから。
ADHDと診断されましたか? だからなんですか? わたしは「ADHDのあなた」ではなく「ありのままのあなた」を知りたい。
精神障害? 知的障害? それを名札代わりにして自分に言い訳をしたところで、わたしたち、あなたたちの人生に何か得することがあるのでしょうか?
どんな辛いことを抱えていたとしても、前に進むしかないのです。
わたしはキューブカフェで、いま多くの人類が無意識に行っている差別を撤廃しています。この活動は世界に広がります。マイノリティと呼ばれる者たちが本当は「多数に流されない芯をもつ人」としての価値を爆発させられる可能性のある、人類の希望とすら思っているのです。わたしはそう信じているのです。当事者と呼ばれる本人がそれを信じられるようにならなければ、前に進みません。
キューブカフェをはじめ、さまざまな活動に命を懸けられる理由は、それらの活動が命を懸けられるだけの価値があるものだと信じているからです。わたしにはゴールが見えています。ビジョンがあるということです。
ひとりではできないことも、力を合わせていけばできる。
わたしのビジョンを理解していただくためには、こんな記事ひとつでは難しいということもわかっています。でも、今まで書き溜めてきてよかったと思っています。こうやって紹介できることで、少しでも相互理解の助けになればと思います。
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