懐疑・闘争・派閥

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4年ぶりに祖母を訪れ、楽しい会話に満足したのであるが、同時に親族のダークな関係性に嫌気を覚えて距離をとっていたことを思い出し、それがより明確に感じられもした訪問となった。おそらく今後父の実家に深く立ち入ることは二度とないであろうし、踏ん切りもついた。

僕は家族(母・妹とその家族・弟とその家族)、友人、キューブカフェの仲間に対して現代のコミュニケーションにありがちな化かし合いを不要のものにしてきた。そんなことは面倒で、悩みばかり増え、実体がなく、愛もなく、寿命を縮め、幸福感を喪失させるだけの猛毒だからだ。

なので基本的に僕の人生は上々で、毎日が幸せなのだ。

ところが父の実家に帰ると、そうはならない。身内同士で疑念が渦巻き、不在者に対する批判の言葉が息をするように飛び出し、世代間のギャップを埋めようとか互いの価値観の違いを説明し合おうとするような歩み寄りの姿勢がまったく無い。僕は今回、祖母と楽しい時間を過ごしたが、同時に反吐が出るような思いもした。

これは我が家系に特化した問題ではなく、さまざまな状況において似たような人間関係はある。けれど、そういう人間関係は僕は望まない。

ふと、思った。僕の母方の祖父母は土地に根付いて商売をやっていた商人だった。母は商人の家庭に生まれ育ち、地に足のついたコミュニケーションが当たり前の環境で生まれ育った。いつも笑顔で明るく、人を疑うことをせず、前向きにさまざまな困難にも果敢に向き合って生きてきた、そんな母の原点は母の実家にある。僕は父の家系と母の家系の両方をみて、両方の「いいところだけ」を受け継ぐ。

もし母の存在がなければ、今の僕のこのような物事の捉え方は、無かったかもしれない。ともかく父方の家計は家柄とか責務とかあるべき姿とか「美しい日本」の型がまだ、世代を超えてうようよしている。だからこそ父はその反動で真逆の方向に行ってしまったし、叔母は糸の切れた凧で両親への感謝よりも恨みつらみが先に出て、唯一の良心である叔父も周囲の環境の悪さに辟易して正常な判断を維持しつづけることに頑なになってしまっているように感じる。次世代の僕たちの世代はというと、あんなに仲良く兄弟のように育てられたのに、てんでバラバラ。

昔を思い出す。正月や盆になるとみんな集まって、笑顔だった。邪心もなく、みんなで楽しかった。じいちゃんはもうとっくに死んでしまったし、うちの両親も叔父も叔母も離婚してしまったけど、みんなまだ生きてるんだから、いろんなしがらみは抜きにして、またここに皆集まって笑顔で楽しいひとときを過ごすことができたら、どんなにいいだろうって。皆で集合写真を撮って、ほらおじさん、こんなに髪の毛が減っちゃったねとか、太ったねとか痩せたねとか他愛もない同窓会のようなことが、身内になると難しいんだなあ。

死んだ母方のじいちゃん・ばあちゃんも、父方のじいちゃんも、ひいじいちゃんたちやひいばあちゃんたちも、天国で溜息をついてしまうよ。生きているだけで丸儲け。素晴らしい体験ができる可能性に満ちた毎日なのに、人ってどうしてこうやって、相手のいないところで相手の真意を邪推したり、同じ考え方の仲間を捜して派閥を作ろうとしたり、考え方が受け入れられないとハッキリと「内と外」の線を引いて闘争しようとしたりするんだろう。僕はそういったことがしばらく頭から離れなくて、でも自分と自分の母と妹一家と弟一家と友人と仲間のことを思うと、ああ、身近にいる人たちはなんて愛にあふれているんだろう、僕は幸せだなって改めて思った。

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