黙して去るのみ、の続き

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前回の投稿の続き。

老害は切腹しようって話。

結局それ決めるのは自分なわけですよ。

本気で俺終わってんのかなって悩み抜いて、いろんな角度で悩み抜いて、

それであーホント、終わってんのかもしれないなーとか

実際終わってるわって思った時

そう、この時が大事だと思うんですよ。

いったん諦めて受け入れたときにね。

そのときにどう自分の感情や意思が変化するのか。

毎回毎回、腹の底からグツグツと煮えたぎるマグマのようなものが勝手に湧いてきてさ、

自分で自分に向かって

ふざけんじゃねえこのヤロウ!

勝手なこと抜かしてるんじゃねえ!

みたいな気持ちになるのね。

他の人は知らないけど、少なくとも僕は。

まあこれが出来ているうちは、好きにやったらいいと思ってる。

でも実際、いろんなところで衰えが出た時

その衰えを自認してしまった時

まだそういう感覚がないからよくわからないので聞いた話で申し訳ないけど

そういうときにはもう、

引退するかどうか悩むレベルじゃなくて、

納得して去る、みたいな心境になるんじゃないかな。

もちろん40過ぎたらそういうこと意識したり考えてみたりするのはいいことだと思うけどね。

その

終わった感→苦悩→新しい可能性が生まれる→やってみる

ができている限りは、誰も自分のことを老害だなんて思わない、かもしれない。

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