螺旋

この記事は約3分で読めます。

みんながそうなのかどうか全然分からないんだけど、自分はちょっとしたきっかけで死ぬかもしれない恐怖に毎日怯えながら生きている。死ぬのが怖いのではなくて生きる希望にしがみつく力を失ってしまうのが怖いからだ。楽しいことを繰り返すのはハッピーになるためではなくアンハッピーから抜け出したいからだ。不幸は恐ろしい。たとえ貧乏でも住む家がなくても頼れる人がいなくても辛いことがあっても、本人が幸せを感じていたらそれは幸せ以外の何物でも無いし、その逆もまた然り。不幸は人から力を殺ぐ。生きる希望を失って生きていられるほど人間は強くない。リアルな黒い死が自分のすぐ背後にいつでも待ち構えているという事実。

こうした心境が人として生きて行く上で皆が当然のように背負っている十字架でただ口にしていないだけなのか、それともレアケースなのか判断ができなくて苦しい。

闇に身を任せて破壊的な行動をとってしまえば、身を取り巻く様々なことが台無しになる。後悔するのは必至だ。それでも時に衝動を抑えることが非常に困難になり、破壊する。一度始まってしまうと徹底的にやってしまう。自虐的行為。そして信頼も信用も全て無くし、振り出しにひとり立ち、某然とする。この繰り返し、繰り返し。もう疲れた。
こんなこと理解してくれる人なんていないし、理解して欲しいとも思えない。多分自分には、正しく人生の駒を進めて昇華させるために必要な何かが欠落している。

こんな馬鹿みたいなサイクルを何度も何度も繰り返していると、だんだんと終末観が生まれてくる。
そして人には言えないような過去だけが増えて行く。いまの本当の自分を曝け出して、全て受け入れてくれる人など、少なくとも自分の知っている人にはいない。
受け入れてくれる人がいた事実に甘えていたら、皆いなくなった。
そうしてやっと、自分を曝してはいけないという結論に達した。
「いい人」であることが、世の中をうまく渡り、不幸から身を遠ざけてくれる仲間を呼び、生きて行くことの苦痛を和らげてくれる様々なことを呼び寄せてくれるという事を学習したからだ。
だから僕はいい人になった。
周りの人に対していい人であるだけでなく、社会のルールや決まり事も破れない、あるいは破ることに罪悪感を覚える人になった。
と同時に、精神が不安定になった。

型枠にはめてコンクリートを流し込んだような今の自分には、当たり障りのない人間関係しか築くことはできない。じぶんの周囲から去った人達の残した言葉は、そのまま自分を映し出す鏡だ。原因と結果の法則だ。

エネルギーの矛先が外に向かなくなってから、それは自分の内側に向けられ、自身の人格や安寧を破壊した。
そんなものを薬でコントロールしようとしたって無理だ。

そして結局、今までの経過をこうして振り返りながら文章にしてみて、わかってくることもある。僕はここにこんな下らない文章を書いて、一体何がしたい?

道が見えない。
誰かに助けて欲しい。
でもそんなこと言えない。
プライドが高いと言われることも少なく無いけど。それはある部分では正しく、他のある部分、たとえばこのケースでは正しくない。
こういうことを人に頼っていいのか分からないし、裏切ったり裏切られたりしたら多分僕は死ぬし、そんなとんでもない結末の可能性を抱えた問題を自分以外に一部たりとも背負わせられないし、背負って欲しくも無い。

今また自分の限界が近くに来てて、不安定になってきてる。
こういうときは、何かを壊す前に一人きりになってさしまうのが良い。
深く傷つけ又は傷つけられてから一人になるより、その前にそうしてしまった方がダメージ少ないから。
スイッチが切り替わってしまうのは、過去の経験からすると、突然、そして一瞬。

正直なところ、頭の中、怒りと絶望で一杯。どうしてとか尋ねられても、これ以上うまい説明が無い。
念のために書いておくけど特定の誰かに対する怒りとかではない。
あえて誰かと言うなら自分だ。
でもこれは、やり場のない、ターゲットのない怒りの感情。
ほんとに一人になりたい。
一人なら誰にも迷惑かけないから。

この文章は思いつくままに書いて、見直ししないでこのままアップします。

コメント