Da capo

音楽の世界では、同じような小節を繰り返すことがよくある。
しかし同じように感じられても、それぞれの小節には前の小節から受け継いだ流れと、次の小節に続く流れがある。

さらなる進行を次の小節に託し、聴者はその可能性にワクワクする。
ときには期待通りの未来に満足し、ときには予想外の展開に感動し、さらなる裏切りを期待する。
また、焦らされることもあるが、その先には溜め込んだエネルギーの発散が必ず訪れる。

自分にとって、繰り返すということは、そういうことだ。

限りある時間の中に表現したいものを詰め込むとき、ハッキリとしたメッセージ性を持たせなければ、全体がぼやけてしまう。
そのためには何をするか。
入れたいものを全て詰め込めばいいのか。違う。逆だ。音を減らせばいい。
音は少ない方がいい。どんなジャンルでも同じだ。最小限の音で最大限の効果を狙う。そして山や谷が生まれ、球体となり、ひとつの宇宙として閉じる。
山がなければ谷はない。
YinとYangである。

無駄は徹底的に排除したい。
無駄なことには興味がない。

人生は必ずしも音楽家や刀鍛冶のようにはいかない。これらの職業において、研鑽と探究の道は厳しくとも、その方角は良く見える。

やりたくないことをやることがある。
どうにも避けられないもののようだ。
しかしやはり、やりたくないことをどれだけやらなくてはならないかは、自分次第な部分がある。

繰り返し作業をするということは、全体の大きな流れの中で起きる変化のひとつを担っているということだ。
それを抜きにして繰り返しそのものが好きだという人は、物事が音楽のように展開する楽しさを忘れている。

展開するということは、変化し続けることだ。
元に戻ることは永遠にない。

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