過程とゴール

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現在位置を過程と考えているか、ゴールと考えているか。
これによって人の行動はだいぶ異なってくる。

楽しくランチで雑談を交わすのもいい。
皆で同じ目標を共有してやっていくのもいい。

だが今はそれをしたくない。
なぜなら、今必要としているものじゃないから。
現状で満足したくないとき、どう行動するか。
前に進み続けるためにやるべきことは人それぞれかもしれないが、自分で考えたい。自ら結論を出して、それをもとに方法を考えて、実践したい。
今の僕が置かれた状況や課題を前に、むしろそれ以外に方法は無いように思う。

同じ考えで生きてる人とは話が合うし、うまい酒が飲める。

しかし人の話を聞くことは大切だ。協調性も大切だ。
自分はどのような場合に、人に合わせて行動するのだろう。
これには幾つかの答えがあるように思う。

ひとつは、集団の秩序を守るため。
以前このブログで報酬システムについて書いたことがあるけれど、集団で秩序化された行動をすることによって何かしらのメリットがある場合。
メリットとは単純に利己的なものではなく、全体の合理化や個々の幸福感など、自分で決めた様々な基準をもとにしたものだ。個人のレベルを超えてプラスがあるのなら、僕はそれをやる。
プラスがあるのにそれを僕が理解していないのならば、その意味をきちんと納得できるまで説明してもらう必要がある。

もうひとつは、馴れ合うこと。
自分と同じラインに立っている人が増えることで安心感を得ることだ。人はこれに逃げてしまいがちだ。僕もそうだ。

他にも答えはあるのだろう。いまの自分は様々な行動基準を学びながら生きている。知らないことがたくさんある。

幸せを得るための方法は、誰かに教えてもらえない。

いま自分が成長するために必要としているものがある。
ひとりひとりが、そういったものを持っているはずだ。

その必要としているはずのことについて深く考えねばならない。
個々の成長につながる過程として共通の課題を設定できるケースは稀だ。

速く走るために何が必要か、課題は人それぞれ。
人から与えられ、それを享受して満足しているようでは、その先にある独りで行き先を決めて孤独に走る世界をうまくやっていくことができるのだろうか。学校のようになんでも与えられていては、学校が求める以上の成長はできない。この課題についてよく考えてから行動することが今の自分に必要なことだ。

考え方を共通化するということは、システムに最適化することだ。
システムを構成する個々には、共通化できない成長のシステムがあるし、システムの上でしか通用しない課題をクリアしていくよりも、もっと普遍的に通用する成長を目標にすべきではないだろうか。

頂点に一度立ったからと言って、永遠に頂点に立ち続けられるわけではない。
どんなに盤石な基礎の上に立っていたとしても、いずれそこは頂点ではなくなるものだ。

そのためには成長を続けたい。自分の好きなことをやるのだから、常に自分に対して負けを認めたくないのだ。唯一の方法が、成長していくことだ。

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