言葉のないコミュニケーション

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他人が存在してこそ自分が存在することができる。そんなことを強く感じる一週間だった。

独りで生きていくことはできない。独りで生きようとすることは大変だ。

しかし同時に、独りで生きないということは、生きることについて独りよがりであることができないということでもある。

人生で様々なチャレンジができるのは、それを理解してくれる人や応援してくれる人がいるから。そんな、陰で支えてくれる人の気持ちは見えにくい。たぶん僕の場合は、ほとんど見えていないのではないか。

一番の理解者は、家族だと思う。

家族とのコミュニケーション、チャンスはたくさんあるのに、難しいものだなあ。

家族を思う気持ちというものをコントロールすることが、とても難しい。

いつも仲良くしていられたらいいんだけど、意見が食い違うことは当然あるわけで。

そんな食い違いにおいて、自分が正しいと信じて疑っていないことを押し付けるのは、とっても残念なことで。

より深く分かり合えるチャンス、お互いの人格や性格を認め合えるチャンス、相手の気持ちを尊重して協力してあげられるチャンス、これらのチャンスを逃してしまう。

強く主張できるタイプと、できないタイプがいる。

強引に意見を押し付けるタイプと、受け身なタイプがいる。

家族なんだから長く一緒にいるから理解しているはず、理解されているはず、と決めつけるのはよくない。

そう、僕は自分の意見を主張するばかりで、他人の助言を軽く見るタイプだ。それで自分も相手も不幸にしてしまうことがよくある。

他人の意見より自分の意見のほうが優れていると考えているわけでもなく、思い込みが激しいのだ。

年取ると頭が固くなるとかいうけど、自分もそうなんだなあ。

人の話をよく聞いて、理解ようとすることも大事だね。

話をよく聞くことも大事なんだけど、今の自分に必要な努力はどっちかっていうと言外の意図を想像するというか、空気を読むというか、相手が口にできないことを察すること。相手の態度や表情や事実関係から想像すること。

腹を割って話し合えれば当然それが一番なんだけど、どんなに話が上手な人だって自分の思いを完全に相手に理解してもらうなんてできないし、ましてや相手が思ったことをうまく口にできないタイプだったとしたら、なおさらだ。

わかっちゃいるけど、言葉にしてもらわないと確信が持てない。こうした気持ちには、いろんな問題が詰まってるんだなあ。たとえば、自分で決定しないズルさ。言えない相手をいたわる気持ちの欠如。自分が納得(スッキリ)したいために相手に結論を強要するという自分勝手さ。簡単に言えば、ハラスメント。

難しいね。

相手が求めていないのに余計な気ばかり使うのもそれはそれで別の問題を生みかねないし、話すのが苦手だからといって話すのを先延ばしにしていたら、大事なことが先延ばしになってしまうこともあるし。

付き合いの長い家族とのコミュニケーションですらこういう問題を孕んでいるんだから、家族以外の誰かに対してなんてもうホントによく考えなきゃいけないというか、やはり線引きが大事だね。

そりゃ他人様に迷惑をかけないというのはとても大事なことなんだけど、やはり一番大切なのは自分の家族なわけで、どうしたって家族を最優先させるわけで。

出会ったすべての人に対して完璧にできればいいんだけどそれは神様でもない限り無理だと思うわけで。

だから、人と分かり合うために踏み込む勇気と同時に、踏み込まない勇気も必要だなと。

その前にもっと身近な人を理解するために時間を割かないとなあ。家族ね。大事だからこそ。

まずは、「相手が意見を言う隙を作らない」ような話のしかたはやめるように努力しよう。

不完全な意見をぶつけて初めて、なかなか口を割らない人と腹を割って話ができる気がする。

力の入れどころの抜きどころの話になってくるのかなこれ。

だとしたら、自分はコミュニケーション(相互通信)が得意なのではなく、プレゼンテーション(一方通行)が得意なだけなのかもしれないなあ。

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