全力でいくということ

いま全力で新しい生き方に取り組んでいて、「全力」ということについて感じ入ったことがあるので書いておこうと思う。
人生に苦しんだりモヤモヤしたりしている方々にとって少しでもよきヒントがあればと思う。
また、未来の自分へのメッセージにもなるかもしれない。

全力とはなにか

全力とは、すべてを出し尽くすことだ。
文字通り、すべてだ。

あなたがもし「いま、すべて出し尽くしてるんだけど」と思ったのなら、ぜひ素直なきもちになって自分自身へ問うてみてほしい。
その問いとは、これだ。

『それは、自分への言い訳ではないか?』

すべてを出し尽くすとは、文字通り、すべてだ。
Sacrifice yourself for YOURSELF. (自分自身のために、自分自身を捧げる)

体力のままに走り続けて息切れしているのならば、あえて言おう。
「もっと考えろ!」
「もっと感じろ!」

知力のありったけを使って考えているのならば、あえて言おう。
「もっと感じろ!」
「もっと行動しろ!」

人の思いで一杯一杯になっているのならば、あえて言おう。
「もっと考えろ!」
「もっと行動しろ!」

みんな、いままでも全力だった

これは、自分だけの話ではない。ここ、大事なところ。
絶対に揺るがない大前提がある。それは、

「すべての人は、全力で生きている」

ということなんだ。
その全力の出し方が傍から見て何か言いたくなるようだったら、ただ、気づかせてあげればいい。
人それぞれ、様々な状況がある。そんな中で、つまづいたり、とまどったりすることだってたくさんある。
休息だって必要だ。
そこを、自分のモノサシで評価してはいけない。ましてや、その評価を相手に押し付けてはならない。
言葉というものが持つパワーを侮ってはいけない。
伝えるだけのつもりが、相手には押し付けになることもある。

だからこそ、僕は声を大にして言いたい。

「すべての人は、全力で生きている」

その大前提を崩してはいけない。

だからこそ、

「他人と比較してはいけない」

他人同士の比較もしてはいけない。
他人と自分の比較もしてはいけない。
存在同士の比較には何の意味もないばかりか、自分にも他人にも、害しか無い。

全力で生きていると理解してなお、あなたが何をしたいのか。
あなたは自分自身に対して、何をしてあげられるのか。
自分以外の人に対して、何をしてあげられるのか。

自分を評価した時点で負けだ。

自分のことを「過大評価」「過小評価」しない唯一の方法は、「評価しないこと」だ。
安心していい。あなたの選択をしている限り、あなたは正しい方向へ向かっているのだから。

そして、全力で生きるということの本当の姿とは、

他人の目など気にせず、自分が信じた道をオンリーワンとして生き抜くこと。

人とわかり合うのは、その先のステージだ。
わかり合おうとするために、自分を曲げたり他人を曲げたりする必要はない。
ということは、わかり合おうと「努力」することは無意味だということだ。
そうではなく、誰が何を言おうと、自分が「これだ」と感じるものに素直に生きるだけでいい。
純粋な思いで生きてみて、そこに響き合うように「わかり合う相手」が現れた時、その相手は本物の理解者かもしれない

自分も他人もみな、全力で生きているという大前提を受け容れたとき、気付きがある。
たとえば、

「それじゃどうして、わたしはこんなに前に進まないんだろう」とか、
「あの人はどうして、同じところでグルグルしてるんだろう」とか。

すべての情報はあなたにとって価値になる。
すべてを吸収するつもりでいくのならば、否定という単語は捨てたほうがいい。
それよりも、理解しようとするほうがいい。

「否定」を捨てて、「理解のための試み」をはじめよう。

そして同時に、すべての力を出し切る。
それが全力というものだと、僕は思う。

自分の過去を振り返ってみたとき、「わたしはいつでも全力だった」と心から思えるだろうか?
もしそう思えないのだとしたら、まだまだ、自分のことをわかってない。
あなたはいつだって全力だった。
それが誰にも理解されなかっただけだ。あなた自身が、あなたの全力を理解してあげられなくて、誰があなたの人生を肯定できるのだろう? まずはあなた自身が、自分の人生を肯定するための一歩を踏み出そう。
あなたは理解するはずだ。あなたは今まで間違った選択をしたことはなかった。
ただやむを得ず、その選択をせざるを得なかったかもしれない。
ほかにいい方法が思いつかなかっただけかもしれない。
しかし人間というものはいつでも、目の前に見えている複数の選択肢のなかから、ベストと思えるものを自然に選ぶ生き物だ。
他人を否定することをやめる、その前の段階には、自分自身の過去を否定することをやめるという大切なステップがある。

否定要素しか見当たらないときはどうするか?
「わたしにはまだ、当時のわたしの行動を支えられるだけの理解がないだけで、ちゃんと自分なりに納得できる何かしらの理由があって、あの行動をしたに違いない」
そう思えばいい。本当にその通りだから。

そして過去のしがらみや他人の影響をすべて捨てて、純粋な「いまの自分」と向き合ってこそ、
「いまを全力で生きる」ことが可能となる。

全力で生きることは、とても楽しい。
自分の限界を知るということは、新たなる好奇心への扉を開くということだとわかる。

荒削りでは全力とはいえない

心技体という言葉を贈りたい。
心、技、体。この3つの要素が絡み合って、人は生きている。

荒削りというのは、心技体のバランスが取れていない状況を表している。

心は、自分が向かう(向かいたい)方向を決める。
技は、その方向に向かうことを決定する要素のことでもあり、向かいたい方向にある障害物を乗り越えるためのテクニックでもある。
体は、実際にこの世でそれを行動に移す、つまり向かうための物理的な芯だ。

方向が定まらないまま走ってしまう。つまり、体ばかり使って、心と技が浅い状態を、荒削りという。
技ばかりに頼った状態を、頭でっかちという。
心ばかりに頼った状態を、夢見がちという。

バランスが大切だということを、少しでも感じていただけただろうか。

全力を応援したい

人それぞれさまざまな課題をもち、ステージがある。
全力で生きている人のためには、愛を与えてやればいい。
その愛というものは、優しさで伝わるとは限らない。
ときには拒否されたり、疑われたり、絶望されたり、失望されたりする。
自分が相手を理解したくても、相手は自分の想いを理解しようとしてくれるとは限らないからだ。

でも、だからといって、自分を曲げる必要があるか?
僕は曲げてはいけないと思う。

伝わらないからといって、伝える内容まで変える必要はないのだ。
伝えるためのツールが何であっても、伝わることが大事なのだ。

決して高尚に感じられないものかもしれない。(ほんとはそんなもの、ないけどね)

全力を応援するために、TOWNSHIP LABOを立ち上げたんだけど、僕は僕で、個人的な思いをさらに純粋に現実化していきたいという欲求のもと、ここでこうしてメッセージを書き続けている。
次はこのサイトを、僕個人の窓口にしていくことになると思う。

全力で生きている人を見て、応援することが心から好きだ。
だから今、生きている。

追い詰められてからやる?

人を本気にさせる単純な方法がひとつある。
ギリギリまで追い詰められることだ。
それをハングリー精神という。
本当にギリギリになるまで動かないのか、それともハングリー精神を持ち続けてチャレンジに突き進むのか?
その選択は、個人に委ねられている。

だからこそ、「今日が人生最後の日だったとしたら?」という自分への問いは意味がある。
最後だからこそ、本当にやり残したことをやれる。
問題は、どれだけリアルに、それを感じることができるかだ。
想像力が試される。
簡単な話、いま目の前にあること、一見どうでもいいように見えること、そして、棚上げしているあなた自身の問題。
それに取り組むのは、今じゃないのか?
そうじゃなければ、放置してもいいってことだ。捨ててもいいってことだ。
取捨選択という考え方にはコツがある。
捨てたものは、二度と戻ってこないという前提に立つことだ。
戻ってくることもあるんだよ。でも、戻ってこないという覚悟で、それを捨てられるかどうかを決断することだ。
もしも、その決断ができてないのに捨ててしまったものがあれば、拾えばいい。
もしも、その決断ができてないのに拾っているものがあるなら、捨てればいい。

自分に対して素直になるというところが、チャレンジなんだ。
自分の本当の奥底にある思いに気がついたとき、人は「行動しよう」なんて思う必要もなく、体が勝手に動いてる。

そのエネルギーを、愛という。

忙しくするな、絶対に

忙しくしたら負け。忙しいか忙しくないかの見極めは自分にしかできない。
「忙しい」とは心を亡くした状態だ。限界を越えて何かをやっても必ずどこかでコケる。
心、身体、技、それぞれの限界は人によってまちまちである。
誰かと同じレベルまでやろうとしてはならない。その人の限界は、あなたよりも高いのかもしれない。
そのときは潔く自分の限界を認めて、自分のペースでじっくりと成長して、限界を高めるという前提で行動の優先順位を整理すべきだ。

自分に余裕をつくること。それはとても大切なことです。

心技体。
ここには、荒々しい野性のパワーを突き詰めることだけではなく、微に入り細に入る「繊細さ」の極致へのチャレンジも必要だ。
豪快なエネルギーを、とても繊細に扱う。

具体的な例を上げれば、荒い言葉も優しい言葉も、繊細に使いこなすことだ。
強いメッセージほど、繊細に使い所を考えるべきだ。
そしていったん使うと決めたら、豪快にパワーを出せばいい。
その豪快さに、「こいつは何も考えてない」と評価する人がいるかもしれない。でも最初に書いたように、評価は気にするな。
評価する人間が損するだけだ。
最後に勝つのは、自分の純粋性を突き詰め、それを信じた人間だ。

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