心から興味がなければプログラミングはやるべきではない

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電車に乗りながらふと思ったこと。

IT業界の求人が未来に増えていくと信じて疑わない方々が多い。そんなことは絶対にないと1から説明して差し上げたいが、多くの人は甘い水を好む。味を見てからモノを言ってほしいものだが、辛い水には見向きもしない。

断言しておくが、いまの小中学生が大人になる頃にはITは幾度ものブレイクスルーを過去と同様に重ね、IT業界であるが故に単なる作業員の人材需要は大幅に低下していく。もし日本でそれが起きなくても世界では起きるし、日本で起きなければ日本はIT産業において過去20年と変わらぬ停滞の辛酸を舐め続けることになる。

現在のITは発展の過渡期にあり、ITツールの多くが「使う側のリテラシー」を要求する。しかし最終的にITが目指しているものは、ドラえもんだ。自動車業界を例にすれば、チョークやクラッチやシフトレバーの操作を知らなければ自動車を運転することはできなかった。しかし現在はどうだろうか。MT車の販売比率はわずか1%である。自分でタイヤ交換やオイル交換をする人の割合も低下する一方で、いずれも25%を大幅に切っている。

今後のITは、「作る側」には高度で広範な知識と経験を要求され、範囲をまたぐジェネラリストと特定分野のスペシャリストの効果的な教育が課題となっているが、これもまたITの進歩によって解決されていく可能性が高いものだ。

ITを「使う側」の未来というと、かつて「作る側」によってのみ提供された機能が次々とDIYできるようになる。DIYのサポートは、人工知能を含む高度化したシステムだ。

例えば、「特定の人から特定の文字列を含むメールを受信したら特定のプログラムを実行して、結果をグラフにしてグラフの画像を写真フォルダに保存する」というタスク。過去ならばプログラマーの助けが必須であったが、今はもはやコードを1行も書かずに実現可能となっている。ITを使う側に求められるリテラシーは、日々低くなっている。これはIT応用が市場から求められる大きな要素、本質的な価値のひとつが利便性の追求であるからだ。

かくして、キューブカフェ荒川で皆さんに教えているようなIT利用者のリテラシーを向上させる活動は、今日においては有用だが、10年後、20年後には陳腐化する。

一方で10年後、20年後の社会を担ういまの若者たちに対するIT教育が「プログラミング」に傾倒していることには大いなる危機感を覚える。少々乱暴に聞こえるかもしれないが、ご丁寧に長期間のカリキュラムを組んで、高いお金をとってまでプログラミングを教える必要はないと思っている。

なぜならば、前述の通り、作る側としての未来のエンジニア達は、コンピュータが楽しいということを自ら発見できるという条件のもと厳選された、可能性のある一部の適性者だけが活躍する世界になるからだ。

「職業」としてのプログラマーは不要になる。もっと高いレイヤーでロジカルに思考ができて、課題解決ができる能力が優先になる。つまり今からIT業界を目指すのであれば、プログラミングくらい独学でクリアしているのが当然なほどにコンピュータにハマっていなければ、苦痛になるし、生き残れない。

「コンピュータの楽しい世界」と出会うきっかけを作る活動は大事だと思う。職業の存在を知らなければ選択もできないから。しかし業務としてのコンピュータ教育を今の若い人たちに施すのは、無意味どころか逆効果になりかねない。もしかしたらITよりも適性のある仕事(本人がやりたいと思える仕事)が他にあるかもしれないのに、その可能性の芽を摘んでしまうのは社会にとっても不利益だと思うのだ。

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