8月の高い空、終戦の夏、世代を超えて伝わること

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わたしたちが今、モノに恵まれて飢えることもなく幸せに生きていられるのは、戦後の時代を生き抜いてきた今の高齢者のみなさんの想像を絶する努力があったからだ。

荒川で僕よりだいぶご年配の心優しい皆さんから昔の話を聞くのが好きだ。できるだけリアルに想像してみようとする。

「いつも弁当に大根が入ってて、学校のストーブで弁当を温めると教室中に大根の匂いが広がった。けれど文句を言う人は誰もいなかった」

「農家の息子はいつも弁当に餅が入っててねぇ。それが温めるといい匂いがするんだよ。いいなあと思ってたね」

「お米なんて滅多に食べられなくて、大豆のカスの粉を蒸してよく食べた。とうもろこしの粉もよく食べた。家畜の餌だよね。それを食べなきゃ食べるものがなかったんだから仕方ないよね。今みたいにおいしく料理する方法があればよかったけど。たまにお米にありついてもカサ増しのために大根切ったのが一緒に入ってたりね」

「みんな焼けちゃって何もなかったよ。あちこちで誰かが亡くなったって、日常茶飯事のようにあってね。猫の焼け焦げた死体が道端に転がっているを見たときはショックで忘れられなかった」

「火のついた鉄の塊が空から落ちてきて、何もかも燃やしてしまうのよ。それが直接当たって亡くなった方もいた」

「今と違って生きるための選択肢なんて考えられない時代だったからね。とにかく目の前にあることをやる以外なかった」

「わたしはとても幸せな時代を生きた。ほんとラッキーだと思っている。働く仕事に困らず、定年退職したら退職金ももらえて、年金までいただけて、この歳まで生きることができた。なにひとつ不自由しなかったと言える」

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ありがたい、ありがたい。でもありがたがっているだけでは、わたしたちは与えられた一度きりの人生を思う存分使い切れるとは思わない。行動しなければ結果はないのだ。

現代には現代の課題が山のようにある。しかしそれらはすべて解決可能な課題だ。上の世代からバトンタッチされたこの世界をどうしていくのか。

8月という、わたしたちにとって特別なこの月は毎年やってくる。そのときに感じたこと、感じたままで終わりにはしたくないのだ。

僕の祖父も戦争に行った。ニューギニア戦線から帰って来たとき、身長170センチ以上あって体重は30キロ台だったという。人を殺すために行ったのではない。和解など夢のまた夢であったどうしようもない時代に、国や家族を守るために他の選択肢が無かったのだ。

戦争を体験した世代のほぼ全員が、何かしらの現代では考えられないような体験をしてきている。

戦争体験が偉いと言いたいわけじゃない。わたしたちは、平和ボケしてる場合でもないし、現状を嘆いたり、なんの解決にもならない批判や愚痴をSNSに書いたり言ったりしてる暇があったら、どうしたら現状の課題を解決する緒があるのか、ひとりひとりが様々な視点から考え、議論し、行動すること。それだけが意味のあることだ。そしてそれが唯一の、わたしたちの命を支えるすべての先祖たち、国境を超えたすべての先人たちの想いに報いることができるかもしれない、数少ない方法なのだと信じている。

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