拒絶は損

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人にはみな好きなものと嫌いなものがある。
誰に何と言われようが愛せずにいられないものと、生理的に受け付けないものもある。
好きという感情には何も制限はないと思う。
それはあなたの行動をなにも制約しないし、むしろ広がりのある感情だと思う。

「嫌い」と断定してしまうことは簡単だ。
ただそう言えばいい。
誰も聞いていなくても、あなた自身がそれを聞く。

しかし嫌いと断定してしまったら、そこに残る道はない。拒絶だけだ。
いったん拒絶してしまうと、もっとその対象をよく見てみようとか、違う角度で見たらどうだろうとか、そういうことが一切なくなってしまう。
食わず嫌いだったのかどうかも、わからない。

自分に理解できないものを人は嫌う。
でもちょっと待ってみてほしい。
嫌いだと宣言するまえに、深呼吸してみよう。
本当にあなたは嫌いなのか。
拒む前に、真剣に考えることをおすすめする。
違う角度で物事を見られない己の未熟さのために、拒む必要のなかったものまで拒んではいないか。
嫌いだと宣言する必要のないものに対してまで、嫌いだと言ってはいないか。

あなたが嫌いなその対象を好きになれる視点を得るには、心を素直にする必要がある。
先入観をなくす必要があるかもしれない。
しかし、世の中にはそれを邪魔するものがたくさんある。

「みんながあれを嫌いだといっている」
「テレビで、あれはダメだといっている」
「新聞でもそう言ってた」
「私の信頼する、尊敬する人がそう言っている」
「複数のソースがそう言ってるんだから間違いないはずだ」

しかし、拒絶は、損である。

まわりの人全員が拒絶しているのに、あなただけがそれを受け入れたら、あなたは仲間外れにされるかもしれない。
それでも、あなたは拒絶しないという道を選ぶことができる。
受け入れるに値するとあなたが判断したのならば、それでいいのだと思う。
それで周囲の人が離れていくのならば、それは価値観の違いではないだろうか。
それを恐れているいまの社会。
価値観を押し付け、共有しようとしている。
人それぞれ、価値観は違うはずなのに。

拒絶には、なんの得もない。

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