一所懸命

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過去を改めて振り返ってみると、途轍もない気分の乱気流に翻弄されてきた人生だった。
調子が悪い時には多くの人に迷惑をかけてきた。

それでも、僕は心が弱いわけでも意思が弱いわけでもない。
今日はそう感じることができた貴重な一日だった。

2012年から、以前社員としてお世話になっていた会社に業務委託として協力させていただくことになった。
それから今日までの間にも、調子が悪くなる時期が何度かあった。

そんなとき、迷惑をかけている人々に対して申し訳ないという気持ちと同時に、思ったようにいかない自分自身に腹が立ち、絶望してしまう。
それでも前に進むのは、僕の意思がとんでもなく強い証拠だと自信を持って言いたい。
こうして曲がりなりにも公の場でそう言い切れるくらい、この障害だかなんだか知らないけど、それは厳しく辛いものなのだ。
何度も挫折しそうになりながら、数え切れないほどの人たちに見限られながら、生きて行くために、生きていることを実感するために、人の役に立ちたかった。そして何より、結婚してもうすぐ丸12年になる妻に、安心できる生活を提供してあげたい、そんな気持ちから、心の奥底にあるどんなに叩かれても這い上がってくるゴキブリみたいな奴が、僕を立ち上がらせるのだ。

しかしながら誠に残念なことに、立ち上がっても立ち上がっても、困難は続く。きっと死ぬまで続く。そして僕は立ち上がり続けることを覚悟している。24時間365日、僕の一歩後ろには断崖絶壁があり、退路はない。

だからこそ僕は、様々な辛い思いをしている人たちの気持ちが分かる。言葉は下手だけど、言いたいことは言えるし。
どんなプレッシャーにもストレスにも負けない。
それだけの経験をしてきた。せざるを得なかったのだ。
我ながら今までの人生は波乱万丈だと思う。だからこそ、得てきたものがあるのだ。
健常でいられない代わりに、神様が与えてくれたものだと思うことにしている。

僕をダメにするのは、仕事のストレスやプレッシャーではない。理解してもらえないことでもない。

無力感や絶望感が引き金になる。

人の役に立つためにこれまで頑張ってきたものを、人の役に立つために使えないことだ。

いつでも、光と闇、生きることと死ぬことについて考えてきた。
死を恐れる気持ちは全くない。しかしおそらく僕には時間がないということが、全ての行動に影響している。
生き急いでいるように見えるのは、限られた時間を無駄にしたくないからだ。

そんな大切な時間を糧に、僕は生きて行くために必要なお金を手に入れる。
それは、納得できる結果を生み出さなくてはならない。これは絶対条件だ。

昨年、社員になる話があった。
この冬に体調を崩してしまい、その話は無かったことになった。

それはいい。会社員という形で働くことは、よほど柔軟に成果だけを見てくれる、過程に口を出さない会社でないと無理だと思う。
結果は出せる。その過程において、健常な方々よりもパフォーマンスが出なくなる時と、その逆がある。平均すれば健常者と同じだと思ってる。

仕事の妥協はしない。最高の結果を生むために、出来ることは全てやる。
しかし、自分も他人も関係なくとことん追い込むことで、人に嫌われることもある。
そんなことは気にしない。とはいえ、人間関係が壊れてしまうと仕事に支障を来すので、何とか思いを伝えようとする。

それでも、僕の体調が安定していないという理由で、全く評価してくれない人もいるし、むしろ社会のゴミだという人もいる。言わなくてもそう思ってる人は、もっとたくさんいるだろう。

今日、今月働きすぎだと言われた。
それは確かにそうだった。
でも、最大の結果を得るために最大限にやってきたことが、あなたの業務ではないと言われてしまいかなり凹んでる。

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